神の子であることを自覚することこそオプス・デイの精神の基礎であります。人間はみな神の子ですが、子の父に対する態度には色々あります。主は私たちに子に対する愛を示し、ご自分の家、この世の中で生活するご自分の家族の一員にしてくださいました。また、主のものを私たちのものに、私たちのものを主のものとし、私たちが、月を欲しがる子どものように親しみを込めて、信頼しきって願い求めることができるようにもしてくださいました。
神の子であるなら、子が父に対するように神に近づきます。主に対しては、奴隷のような接し方でも、形だけの儀礼的な尊敬を示すのでもなく、誠実で信頼心に溢れた態度をとらなければならないのです。神は私たちのことを呆れ果てた奴だと憤慨なさることはありません。私たちの度重なる不忠実な行いにうんざりなさることもありません。天におられる私たちの父は、どのような侮辱を受けても、私たちが痛悔の心をもち、赦しを求めて立ち帰る限り赦してくださるのです。私たちの赦しを得たいと望む心を主は予め知っておられ、自ら進んで腕をひろげ恩恵を与えてくださるほど慈悲深い御父なのです。
天におられる私たちの父の愛を教えるために、神の御子が話してくださった放蕩息子のたとえを思い出してみれば、私が別に新奇なことを言っているのではないことがおわかりになるでしょう。
「まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」(ルカ15・20)。これは主の言葉なのです。首を抱いてくちづけを浴びせたと書いてあります。いとおしくて仕方がなかったのです。これ以上人間味に溢れた話し方ができるでしょうか。御父である神が私たちに対して抱く愛をこれ以上生き生きと描写することはできないでしょう。(知識の香64)