新司祭29名誕生:「自分が望む司祭ではなく、望まれる司祭になる」

5月25日(土)ローマの聖エウジェニオ大聖堂にて29名のオプス・デイの助祭が大阪高松大司教区酒井俊弘補佐司教より司祭叙階を受けました。

酒井俊弘司教説教

最初に、この叙階式の機会を与えてくださったパドレ、フェルナンド・オカリス神父様に心から御礼申し上げます。オプス・デイのメンバーである私にとって、ローマに来てパドレとオプス・デイの家族に会える機会はいつでもとても嬉しいものですが、こうして自分の兄弟たちに叙階の秘跡を授ける役割を担うことができるというのは、大きな喜びだからです。

次に、叙階を受ける方々の家族の皆さん、特にご両親にも心から感謝申し上げます。私たちのパドレ、オプス・デイ創立者の聖ホセマリア・エスクリバーはたびたび、「召し出しの90パーセントは両親のおかげ」と言われていました。司祭職への召し出しが減少していると言われる中で、皆さんのおかげで彼らは今日の叙階式を迎えました。本当にありがとうございます。

この29名をここまで育んできた、霊的な家族であるオプス・デイと、血縁の家族である皆さんと、友人の皆さんの上に、神様の豊かな祝福を願います。

Ordenaciones sacerdotales 2024

さて、叙階を受ける皆さんにお話をしましょう。今日までの日々、ことに昨年の助祭叙階式から、(ここで助祭叙階を授けてくださった聖職者省次官のアンドレス・ガブリエル・フェラダ司教様に改めて感謝いたします)、司祭職について毎日黙想してきたことでしょう。何よりも、司祭になりたいという聖なる望みをもって、一日一日を過ごしてきたことでしょう。そのような皆さんに、あえて申し上げたい。今日までの道は、自分がなりたい者である司祭になる道でした。けれども、明日からは、自分がなりたい者になるのではなく、周囲の人がなって欲しい者になる歩みが始まる、ということです。自分が望む司祭ではなく、望まれる司祭になる、ということです。

どのような司祭になることが望まれるのでしょうか。それを語ったのが、今日の聖書朗読でした。

第1朗読では、聖ペトロが自分たちが何者で、何を託されているかを述べました。「証人」という言葉が2回あり、イエスからの命令を伝えます。「イエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました」(使徒言行録10:43)司祭は何よりも、キリストを証しする者です。

第2朗読は、私たち司祭がどのような生き方をするべきかが、聖パウロの言葉によって語られました。「自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きること」(2コリント5:15)。

そして、福音書はイエス様がご自身について語られた言葉を伝えています。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:11)。

皆さん、これら三つの朗読で語られたことを、どうかこれからも黙想してください。

司祭はキリストのように良き牧者となるべきですが、同時にいわば良き羊ともなるべきです。今日読まれた箇所の少し前でイエス様はこう言われています。「羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである」(同4-5)。

私たち司祭もまた、良き牧者の声を聞き分けて、その声に従わなければなりません。このことから、オプス・デイのメンバーである私たちが羊とは別に思い浮かべる動物は、ロバです。聖ホセマリア・エスクリバーは自分自身をこの動物に好んでたとえていました。

「イエス様、私はあなたのロバです。幼子イエス様、あなたのロバを好きなようにしてください。いたずらな子どもたちがするように、耳を引っ張ったり、引っぱたいたり、好きなように走りまわさせたり。我慢強くて働き者で忠実なあなたのロバになりたいのです」(『内的覚え書き』313)

ロバはその大きな耳で、主人の声を聴きます。今から36年前、私が司祭叙階を受けた際、当時のパドレであった福者アルバロ・デル・ポルティーリョに、折り紙のロバを並べた置物をプレゼントしました。小さな19匹のロバ(私たち叙階者は19名でした)が並んで、少し大きな2匹のロバについて行っているものです。お渡しするときに「先頭のロバが2番目のロバの耳に何かをささやいています。これは創立者のパドレが言っていることにパドレが耳を傾けている様子です」と説明をしました。ドン・アルバロは「それは嬉しいことです。創立者の言葉を聞いているんだね」と、とても喜んでくださいました。

カトリック教会が聖人と認めた人たちは、すべてのカトリック信者にとっての模範です。そして、私たちオプス・デイの者にとっては、多くの聖人たちの中でも、聖ホセマリア・エスクリバーこそが常に戻るべき原点です。私たちは皆キリスト信者です。それは、キリストというペルソナです。「神の愛には名前と顔があります。イエスです。…わたしたちの愛するかたは、イエスです」(教皇フランシスコ、2013年8月11日の「お告げの祈り」)。だから私たちはキリスト者なのです。もう少し踏み込んで、誤解を恐れずに言えば、私たちは「聖ホセマリア主義者」と言えるでしょう。およそ50年前に亡くなった人物ではなく、今も私たちを助けてくれる方。「天国からもっとあなた方を助ける」と言われた聖ホセマリアに耳を傾けることが、私たちがロバのように忠実に歩んで行くための秘訣です。パドレは言われました。「聖ホセマリアの忠実な子どもになることは、キリストにおいて神の忠実な子どもになるための、私たちがたどるべき召命の道なのです」(属人区長の手紙、2022年3月19日、4)。

世界中のオプス・デイのメンバーは、一人残らず毎日プレチェスという祈りを唱えますが、その中でこう祈ります。

私たちの創立者である聖ホセマリアに。あなたの子供である私たちが、オプス・デイの精神に忠実であり、仕事を聖化し、キリストのために人々を獲得しようと望むように、取り次いでください。

皆さんはこれから叙階の秘跡を受けて、司祭になります。聖ホセマリアが望んでいた通り、「100パーセントの司祭」となります。ですから今日からは、オプス・デイの精神に忠実に、毎日の司祭としての仕事を聖化し、あらゆる人をキリストのもとに連れていくこと、そのためだけに生きていってください。

最後に、日本のことわざを一つ伝えて終わります。日本は米を食べる食文化の国です。麦の穂と米の穂には違いがあります。実った時に、麦の穂はまっすぐに立っていますが、米の穂は重さでたわみます。そのことからこのようなことわざがあります。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。これから司祭としての経験を積めば積むほど、より謙遜になることが大切です。謙遜であれば、より多くの実を結ぶことができるでしょう。

Omnes cum Petro ad Iesum per Mariam.(皆が、教皇と共に、マリアを通ってイエスのもとに。)「マリアは、お告げのときの模範に倣うようわたしたちを招きます。謙遜な心で、光に向かって開かれた質問を発しながら、最後はつねに信仰の従順をもってこう語るようにと。『わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身に成りますように』(ルカ1:38)」(教皇聖ヨハネ・パウロ二世、使徒的書簡『おとめマリアのロザリオ』14 )。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。


叙階式の様子


新司祭紹介

1988年キンシャサ生まれのジュナ・パスカル・マンシンサ(コンゴ民主共和国)は、2013年にキンシャサ大学を卒業した(機械工学)。モンコレ病院で3年間、機器や設備のメンテナンスに携わる。2018年にローマに移り神学を学び、現在は教父学における類型論的釈義に関する論文(聖書神学)を執筆中。

イタリア人のロベルト・ソレンティ(53歳)は、ローマにあるELISセンターに20年以上勤務し、センターを支援する企業との関係を担当した。またミラノ工科大学との協定を通じてデジタル工学の学位を取得できるコースの推進に携わった。「仕事の世界は長期的な人間関係を築くことができる場所です。このような関係を生き生きとさせる1つのポイントは、言葉だけでなく具体的なプロジェクトによって、他の人が共通善のため、また新しい世代のために働くよう手助けすることです」と、ロベルトは司祭としての仕事に思いを馳せながら語った。

チンウィケ・アソリベ(ナイジェリア)は、ベニン大学で水文地質学を学んた後、ワリ、ラゴス、ベニンシティの学校で数年間教鞭をとった。教育を通して若者が未来に立ち向かい、彼らが前向きな決断ができるよう手助けしたことはとても良い経験だったと言う。チンウィケは現在、「アフリカ宣教会」(La Société des Missions Africaines)の神父たちによるラゴスの福音化について博士論文を書いている。司祭としての彼の大きな願いは、宣教師たちによって過去150年間、西アフリカに植えられた福音という種が、ナイジェリアの多くの人々の生活の中に根を下ろし、彼らが福音の真の担い手となるように献身することである。

ワイ・レオン・ウン(ビリー)は1989年に香港で生まれ、言語学、英文学、教育を学んだ。彼は青年の時、タク・スン校で信仰と出会い17歳の時に洗礼を受けたが、その母校で教師として数年間勤め、英語、倫理、宗教を教えた。現在は「儒教とキリスト教における自然法の概念の互換性」について論文を書いている。「私の国では異なる宗教伝統を持っている人々にキリストを宣べ伝えなければなりません」と、ビリーは言う。「このことが実現するよう、そして私が司祭として自分の役割を果たすことができるように、お祈りください」。

新谷光アルベルトはブラジル・サンパウロ出身。7人兄弟の5番目で、家族は日本にルーツを持つ。日本に移り、神戸大学で日本史を学んだ後、京都大学大学院で歴史を研究、日本学術振興会の研究員であった。発展途上国の社会事業を支援するNGOに勤務し、芦屋にある大学生寮、精道文化センターの所長も務めた。「キリスト教をルーツに持つ国(ブラジル)と、一般的な若者が超越的なものに触れたことのない国(日本)の両方で生活した経験から多くのことを学び、文化的な環境にかかわらず、人が最終的に求めるものは常に同じであることに気づきました。それは、自己の存在意義、人生のおける愛の対象、毎朝起き上がるための動機です。司祭の姿は、これらすべての憧れに対する答えはすでに存在すること、そしてそれはイエス・キリストという名前と顔を持っていること、さらにそのキリストが率先して私たちを探しに来てくれることを思い出させてくれるものだと思います」。

ハイメ・エルナンデスは米国から来た若い医師である。メキシコで生まれ、スペインで循環器学を専攻した後、米国で不整脈の治療に専念した。「司祭としての仕事は、医師としての召命と連続したものだと考えています。イエスもまた医者であり、最初の奇跡はほとんどすべて『癒し』でした。司祭としての私の仕事も多くの場合癒しで、それは秘跡を通して主の恵みが与えられること、そして耳を傾け同伴し愛情を与えることによって実現します。人々の心がキリストの心のリズムで鼓動するように手助けができることは、私を熱意で満たします。これこそ、すべての人の最も深いあこがれであり、人間に意味を与えるものだと思います」。

メキシコシティ出身のフアン・カルロス・ディアス・パラシオ(メキシコ)は、ハリスコ州グアダラハラのパナメリカーナ大学で生産工学を学び、オペレーションズ・マネジメントを専攻した。その後、産業プロセスやサービスプロセスのコンピューター・シミュレーションのプロジェクトに携わり、広告代理店と共働した。パナメリカーナ大学で短い期間教鞭をとった後、ローマで神学を学んだ。将来の司祭職について考えるとき、教皇フランシスコが2023年8月にローマの司祭たちに語った「私たちはイエスを見つめる必要があります。私たちの傷ついた人間性を見つめるイエスの憐れみ、十字架上で私たちのために命を捧げたイエスの無償の心を見つめる必要があります」という言葉がインスピレーションになると彼は言います。「このように私も人々にキリストを示したいと思います。人々がキリストを見つめる望みと力を持つことができるように」。


新司祭は以下29名

  • セシル・オティエノ・アグトゥ(ケニア)
  • リカルド・アラニス・クリストフォロ(メキシコ)
  • チンウィケ・サイモンージュード・アソリベ(ナイジェリア)
  • レニー・カバレス・トコ(フィリピン)
  • ガエタン・クルデロワ(フランス)
  • ハビエル・デ・フアン・パルド(スペイン)
  • ホセ・デ・ラ・ピサ・ペレス・デ・ロス・コボス(スペイン)
  • フアン・カルロス・ディアス・パラシオ(メキシコ)
  • ジョルディ・ファレラス・ティオ(スペイン)
  • マッテオ・フロンドーニ(スイス)
  • アブラハム・ジェラルデス・ブリオネス(フィリピン)
  • ペドロ・ヒル・ノゲス(カメルーン)
  • クレメンス・マリア・グデヌス(オーストリア)
  • ハイメ・エルナンデス・オヘダ(米国)
  • ファン・パブロ・ヒノホサ・ゴメス(オーストラリア)
  • ハビエル・ハウキコア・マルティネナ(スペイン)
  • フランシスコ・ハビエル・ヒメネス・アギラル(エルサルバドル)
  • カルロス・アウグスト・リスボア・サントス(ブラジル)
  • ジュナ・パスカル・マンシンサ・ムヴアラ(コンゴ民主共和国)
  • ホセ・アンヘル・マルケス・ウリサール(メキシコ)
  • ホセ・マリア・モラレス・デ・アラバ(スウェーデン)
  • ダニエレ・モットゥーラ(イタリア)
  • ワイ・レオン・ウン(中国)
  • マルシャル・エレノ・ヌニェス・アルバレス(パラグアイ)
  • ホセ・フェルナンド・ペレス・アギラル(メキシコ)
  • アルバロ・ピケル・アルタリーバ(スペイン)
  • 新谷光アルベルト(日本)
  • ロベルト・ソレンティ(イタリア)
  • アグスティン・トーレス・ゴメス(メキシコ)