聖ホセマリアはスペイン北部のサラゴサ近郊にあるバルバストロという小さな街で生まれ、司祭になった後は1928年にオプス・デイを創立し、首都マドリッドに居を構えていました。オプス・デイの発展に伴って聖座のあるバチカンとのやりとりをより効率的に行うため、そして教皇様のそば近くで働くために1946年からその生涯を閉じる1975年までローマに本部を設けそこに居住していました。やがてオプス・デイは五大陸にまで広がり、その統治の仕事も日毎に増していきました。忙しい日々の仕事の合間を縫って、特に夏の間、聖ホセマリアは四人乗りの車で(聖ホセマリア、福者アルバロ、ドン・ハビエル、そして運転手の4名で)ヨーロッパ各国を訪れそこで働いているオプス・デイの人々や関係者そしてその友人たちとの会合を持ち、キリスト教的な生き方を深めるように人々を励ましていました。
ある夏は、フィレンツェの近郊で数日を過ごした後、パリの南50キロくらいに位置するエタンプという村まで移動してそこでさらに数日を過ごしながらたくさんの人々と語り合っていました。そんな折、ある人が「せっかくフランスまで来られたのですし、もう当地のワインは飲まれたのですか?」と尋ねましたが、聖ホセマリアは気遣いに感謝しながらも「私はミネラルウォーターをいただいています」と答えました。少し不思議に思ったその人は、「ひょっとしてワインはお好きではないのですか?」と尋ねると、「フランスのワインが素晴らしいのはよく知っていますよ。でも私はここに住んでいる人たちに会うために来たのです」と聖人は言いました。ヨーロッパ各地を隈なく旅をしていた聖ホセマリアですが、観光の名所を訪れたりご当地の美味しいものを食べたりすることを犠牲として捧げていたのは明らかです。まさに聖ホセマリアにとって関心があったのは人々の霊魂の救いだったのです。
