聖ホセマリアのエピソード(2)友情

創立者である聖ホセマリアの人柄を浮き彫にするエピソードをシリーズでお伝えします。

聖ホセマリアと個人的に知り合いになった人の多くが共通して口にするのが、「聖ホセマリアは友情を培う点において本当に優れた人だった」ということです。それは単に社交的であるとか丁寧な物腰であるとかユーモアのセンスがあるとかいうことではなく、心からの友情を感じさせるものでした。家を訪問したり招待したり、仕事は順調かどうか、家族は元気なのか気にかけ、手伝えることがあれば手を貸し、必要であればその相手を庇うことを厭わない、一言で言えば、本当に友人を大切にする人でした。

そんな友情を味わった者の一人が若い司祭ペドロ・カンテロでした。彼が聖ホセマリアと出会ったのは、1930年ごろのマドリッドの大学です。二人は若い司祭として博士課程の勉強をしていました。ペドロは1931年8月14日の夕方のことだった、と40年以上も経ってから思い出を語っています。「いつものように暑い夏の日でした。ホセマリア神父が久しぶりに家を訪ねてきました」。夏の休暇を終えてマドリッドに帰ってきていたペドロ神父は、いかに自分の過ごした夏休みが充実していたのかを語りました。本に囲まれて幸せそうに博士論文執筆のための素晴らしい文献を手に入れ、完成のめども立ってきたことを話していたのです。そのとき、ホセマリア神父は言いました。「おい、ペドロ、君は随分エゴイストになっている。自分のこと、自分の研究のことで頭が一杯だ。目を開けて見てご覧、今の教会、そしてスペインの状況を。君も私も人々に仕えるために司祭になったはずだ。君の論文?君の文献?今はもっと別のことに、もっと重要なことに目を向けるときだろ」。はっきりとした、厳しい、でも心に響く言葉でした。1930年代のスペインは混乱の時期で、教会は各地で焼き打ちにあい、国内の世論は真っ二つに分断されていたのです。この夏の終わり、ペドロ神父は論文の執筆を中断し、教会の人々を助ける仕事に取り掛かります。こうして彼の人生は新たな方向に向かって動き出し、彼は後にサラゴサ教区の大司教になるのでした。

硲恵介