日本でのオプス・デイ女子部の始まり

 「アフリカとアジアでオプス・デイ女子部の使徒職を開始する計画があるのでそのために祈るように」。1960年2月14日、オプス・デイ女子部の創立記念日のごミサの説教で、創立者は伝えた。

             日本でのオプス・デイ女子部の始まり

 「アフリカとアジアでオプス・デイ女子部の使徒職を開始する計画があるのでそのために祈るように」。1960年2月14日、オプス・デイ女子部の創立記念日のごミサの説教で、創立者は伝えた。早速、だんらんでこの「遠国」のことを知ろうと、ケニアと日本のスライドを選び出し準備した。そのだんらんの少し前に、聖ホセマリア自ら、当時ローマの本部で働いていた補佐ヌメラリー、マルハ・カベロ、フリタ・フェルナンデスとイレネ・ルビオに、「もしよければ、日本に行ってもらえないか」と頼まれた。一方、日本に行くことを打診する予定であったヌメラリーは、当時、様々な国に住んでいた。今は天国にいるスペイン人のマリア・テレサ・バルデスはアイルランドに、アイルランド人のキャサリン・パーセルはイギリスに、アメリカ人のマーガレット・トゥラバースはミルオーキーに、パラグァイの最初の女子メンバーであるアナ・マリア・ブルンはフランスに住んでいた。皆、創立者の打診に喜んで応じ、それぞれの国で、胸躍らせ、これから使徒職を展開する新しい国に関する資料を探し始めた。

神戸港に着いた8人と出迎えた友だち

 二ヶ月後の1960年4月、ケニアと日本に行く人たちのために特別の研修会がローマで始まった。創立者は到着する人たちを愛情深く出迎え、17日の復活祭のごミサの説教で創立者は、誠実で信心深い生活を送るようにと彼女たちを励ました。心から誠実であるなら素晴らしい仕事ができると強調し、一年以内に、もう召し出しがあったという知らせを受け取ることを確信しているとおっしゃった。また、皆が「堅固で確信に満ち、明るく誠実で」あるようにミサ聖祭を捧げてくださった。

 4月22日には、次のように話した。「お金の不足からすべきことを疎かにしてはなりません。それは、私たちの精神ではないばかりか、献身や信心の不足に由来することです。本当に信心深い人であってください。神は豊かな祝福を送ってくださいます。私は皆さんの勝利を確信しています。すぐに、多くの召し出しがあるでしょう。皆さんが働くことは神のみ旨だからです。(…) 主は、皆さんの仕事がもたらす素晴らしい実りを見る喜びを与えて下さるでしょう。」

 創立者は、私たちが5月に出発することを望んでおられたがビザが降りなかった。6月になっても未だ降りていなかったが、「きっと大丈夫」という創立者の信仰で、香港で受け取れるよう手配し、6月に出発することになった。

 6月13日早朝、ラオス号出港地のマルセーユに向けて汽車でローマを出発。32日間の船旅の間、私たちが毎日ごミサにあずかることができるようにとの聖ホセマリアの配慮で、その船には日本まで行く司祭が乗船することを確かめた上での6月出発であったということを後で知った。

 1960月6月14日正午、ラオス号は、岸壁を離れ、ついに長い旅が始まった。寄港するたびに下船し教会を探し、聖体訪問をした。またローマに宛てた手紙や葉書を投函し、またローマからの便りを受け取った。ポートサイドで受け取ったエンカルニタ・オルテガの手紙には、ローマ出発の朝、聖ホセマリアは、みんなが頻繁に行きかうビラ・サケティの廊下にある聖母像の前のローソクに火をともし、日本についたという知らせが来るまでは、ずっと灯し続けて皆で祈るようにと勧められたということが書いてあり感動した。旅行中、同乗の日本人から日本語を習ったり、持ち合わせていた「日本語独習書」という本に出てくる簡単な文章を暗記したりして、みんなで日本語の勉強を必死にした。

下鴨アカデミー

 6月14日のマルセーユを皮切りに、17日ポートサイド、21日アデン、25日ボンベイ、27日と28日コロンボ、7月2日シンガポール、4日から7日サイゴン、9日マニラ、11日と12日香港…そして、15日、ついに神戸港、日本に到着!

 甲板に出ると、日本からの手紙で知らされていた通り出迎えに来てくださった英子(ひでこ)さん、英子(えいこ)さん、敏子さん、みどりさんの姿が見えた。聖器具や祭服などが入った沢山の荷物を受け取り、彼女たちに案内されて日本女子部の最初のセンター「夙川塾」に到着。その家は阪神間の閑静な住宅街の一角にあった。ローマにいた時、聖ホセマリアが「貧しい私たちにできる範囲内で、交通の便が良く、安全な地域に、手頃な家を求めるようにと、皆さんの兄弟である司祭にお願いした(…)」と話されていたことを思い出した。当座必要となる食器や家財道具を揃えてくれていた日本の友人達は、皆のことを思いやりながら楽しく準備したよ、と後になって話してくれた。

 祭壇には、聖ホセマリアが日本のために作られたSancta Maria, Stella Maris, filias tuas adiuva (海の星なる聖マリア、あなたの娘たちをお守りください)という射祷が彫り込まれていた。早速そこにご聖櫃を設置、明朝、カルメンの聖母の祝日に、日本での最初のごミサが行われた。ミサ前の説教では、「夢を見なさい、そうしたら思ってもいないことすら実現します」という聖ホセマリアの言葉が引用され、このお聖堂が神に近づく日本女性で溢れることを、みんな夢見た。また、聖ホセマリアが「もし皆さんが忠実であるなら、一年以内に、パドレ、召し出しがありました」ときっと私に知らせてくれるでしょう…」とローマでおっしゃったことを思い出した。

 同じ夏、聖ホセマリアはロンドンに滞在、共に仕事をしていた女子部の中央秘書エンカルニタから度々手紙を受け取ったが、一度は聖ホセマリア直筆で「御地での仕事開始おめでとう、日本の娘たちを祝福します。マリアノ」また、ドン・アルバロも「あなたたちとあなたたちが接している皆さんのために愛情を込めてお祈りしています。皆さんの仕事に多くの実りと喜びをもたらしてくださるよう主にお願いしています。アルバロ」と書かれたものが同封してあった。

日本の最初のセンター・夙川スクール

 聖ホセマリアの愛情と心配りは、それでも未だ足りないかのように、9月1日の真夜中、ロンドンから電話をかけてくださった。受話器を取ったマリア・テレサの耳に入ったのは「ロンドンから」という交換手の声。「誰ですか。」「某です。」「喜んでいますか。喜んでいますね。」「はい、パドレ。」「神の祝福があるように。次の人に替わってください。」こうして順番に。最後にマルハと話し終えたとき、3分間にはまだ少し時間があったので、マルハはドン・アルバロにも挨拶できた。

 この使徒職開始の時期、スペインのスーパーヌメラリーや協力者に、定期的に献金を、そして冬になる前には船便で毛布や寝具を大量に送っていただき、経済的に大きな援助を受けた。来日時に、お聖堂のための祭具や祭服を準備してくれたのも彼女たちだった。

 来日当初、西洋料理やインテリアのクラスを始めたが、外国語への関心が強いことに気づき、外国語クラスを始める。午前中は主婦、午後は中高生、夜は大学生のため、土曜日は小学生のための英語、フランス語、スペイン語のクラスを始めた。マリア・テレサはテレビのスペイン語講座を受け持ったりもした。翌年にはロレッタがアメリカからきて加わり、夙川塾(後ほど夙川スクールに改名)での外国語の生徒は日増しに増え、教室やLL教室をの増改築も行った。この頃の生徒たちは皆の良き友人となり、買い物に付き合ってくれたり、食材持参で和食の調理法を教えてくれたり、電気製品の説明書を訳してくれたりと、労を惜しまず助けてくださった。文化交流も活発で、夙川スクールでは外国語のクラス以外にも英語での団欒やカトリックの教えに関する講話も始め、洗礼を受ける人もいた。

 フランス語のクラスの生徒だった喜久子さんは、同じ西宮市に住んでいたので、電話で助けを頼むといつでも飛んできてくれた。そして、1961年、ヌメラリーとしてオプス・デイ所属を願い出た。前年には、英子さんが日本最初のスーパーヌメラリとなっていたので、創立者がおっしゃったとおり、一年以内に「パドレ、召命がありました」と報告ができ、皆、大喜びであった。

 なお、夙川スクールでの語学授業は、10年ほど経て、精道塾と合併し、芦屋市にセイドー外国語学院を開校。夙川スクールは1978年、芦屋市に引っ越し、大原文化センターと改名する。  

洗礼式の一場面(1965年12月15日)

 パドレは、他の都市でも使徒職を開始することをお望みになった。第二の都市は、学生の街・京都に学生寮を開くことにした。

 1963年の冬、昔、料亭であったという家屋も庭も純日本式の古い大きな家を見つけ、翌年3月、日本で二番目のセンター、下鴨アカデミーを開始。この古い家屋は1969年に、4階建てのビルに建て直し、鴨川沿いに堂々とそびえる女子学生会館となった。

 1964年から、家庭の事情で東京に引っ越したメンバーの形成のため東京への使徒職旅行が始まる。 1965年の秋、聖ホセマリアの願いで、マルハ、フリタとイレネはオーストラリアでの使徒職開始の

ため日本を離れることになった。3人は、日本人の補佐ヌメラリーの召命を必死で祈りながら、来日時と同じ喜びをもってオーストラリアに出発した。離日後すぐに、十代の3人が就職し、数ヶ月後、3人とも補佐ヌメラリーとしてオプス・デイ所属を願い出た。こうしてオーストラリアに行った3人の必死の祈りが聞き届けられたかのように、日本にも、聖ホセマリアがひいきしていた補佐ヌメラリーの娘たちが誕生した。

 日本でのオプス・デイ開始について振り返ると、神様と聖ホセマリアに対してどんなに感謝しても感謝し尽くすことができない。聖ホセマリアは、日本でオプス・デイを始めることは神のみ旨であると確信しておられた。そしてこよなく愛する日本で働く忠実な道具となる最初の人たちを、大きな祝福と共に送り出されたのである。