オプス・デイ来日50年

今年は、1928年10月2日に創立されたオプス・デイの80周年と共に、日本における使徒職開始の50周年を祝うことになります。

1962年12月8日、芦屋市の精道塾の小御堂で、新田壮一郎神父(現オプスデイ日本地域総代理)の洗礼式

昨年オプス・デイは、ヨハネ・パウロ2世教皇様によって属人区として設置(1982年11月28日)されてから25周年記念を迎えました。今年は、1928年10月2日に創立されたオプス・デイの80周年と共に、日本における使徒職開始の50周年を祝うことになります。

長崎で108人の殉教者が列福される目出度い年にこのような記念を祝うことができるのは私たちにとって本当に大きな幸せです。私たちは昨年の11月28日から今年の同日までをマリア年として世界中で聖母に感謝を捧げ、助けをお願いしています。

日本での使徒職を始めるために、1958年11月8日に来日したのは、それまで米国のシカゴで司祭として働いていたヨセフ・レイモンド・マドゥルガ神父でした。

師の到着はオプス・デイが初めてアジアで、またキリスト者が少数の国での使徒職の嚆矢(こうし)となります。

すでに豊かな使徒職の実りに恵まれた欧米や南米諸国とはまったく異なる固有な文化と環境の中で、日本での使徒職はオプス・デイにとって、前例のない新たな冒険の始まりでした。

1957年、当時ローマ滞在中の田口司教様はオッタビアーニ枢機卿様に励まされて、創立者ホセマリア・エスクリバー神父と会見し、大阪教区に来るよう要請なさいました。

旧精道塾玄関前で、英語クラスの生徒

創立者はオプス・デイの最初の三名の司祭の一人・ホセ・ルイス・ムスキス神父を任命し、聖ホセマリアの子供たちを派遣する前に、日本を訪問して国の事情を見聞して報告する仕事を依頼しました。そこで、丁度そのころローマに来ていた当時米国に居住中のホセ・ルイス神父は、聖ホセマリアの指示に従って田口司教様に面会をしました。田口司教様、「桜の花が咲く」四月に日本を訪問するようお勧めになったのです。

聖ホセマリアは日本におけるオプス・デイの使徒職の始まりを聖母のご保護のもとにおき、旅の準備をしていたホセ・ルイス神父に書き送りました。「主とその聖母・Stella maria海の星が日本旅行を祝してくださいますように。」

ホセ・ルイス神父は東京に到着次第、創立者に手紙を送ります。手紙を受け取った聖ホセマリアは封筒の表にこう書きました。日本からの最初の手紙、Sancta Maria Stella maris, filios tuos adiuva!(聖マリア、海の星、あなたの子供たちを助けてやってください。)そのときから、日本での使徒職は聖母の保護のもとにおかれ、日本における属人区の信者は頻繁に射祷として繰り返し、聖マリアの助けをお願いしています。

1959年、豊中市の家の庭で、日本語学習に励むホセ・ラモン神父とフェルナンド・アカソ神父

ヨセフ・レイモンド・マドゥルガ神父は大阪に到着以来、しばらくの間、司教館に滞在していました。しかし、田口司教様の歓待にいつまでも甘えるわけにはいきません。生活費を稼ぎ、他のメンバーが到着する時の準備を始めます。聖ホセマリアの指示に従って、住まいを見つけ、1959年7月に到着する女性メンバーのために準備が必要でした。

数週間は御受難会の司祭方が司牧をする小教区に住みます。その間に外国語教授が生計を立てるのに手っ取り早い手段であると考えます。これはレイモンド神父の当座の生活に役立つだけでなく、組織化できれば後からやってくる兄弟たちにとってもいい解決法になるからです。

これが属人区による本邦初の共同の使徒職、後のセイドー外国語学院です。最初の本拠地は典型的な日本家屋でしたが、1962年には三階建ての学院校舎が完成します。

当初から外国語教授の専門家として教授法に通暁した教授陣を配するよう配慮し、数年の経験を経た後に、自分たちの教授法を確立することになります。

1965年には、六甲山に研修会・黙想会のための奥芦屋スタディー・センターが、また、1970年には、学院の新校舎とともにセイドー国際学生センターがオープンします。

その後、社会人や学生のための活動は、京都、長崎、大分に広がります。長崎の精道学園(男女別学の小中学校と女子調理師学校)もオプス・デイの共同の使徒職と位置付けられています。

1965年、セイドー外国語学院での英語クラス風景

属人区の信徒のある者はこれら諸施設において専門職に従事し、ほとんどは、各々の立場で個人的な使徒職に励んでいます。

ところで、属人区固有の使命は、職業と日常の生活こそ、神との出会いの場となり、人々に仕え、社会に貢献する場であるという使信を広めることです。そのために要理クラスや各種黙想会、司祭の霊的指導など、霊的生活と使徒職面で刷新を望む人々に種々な形成の手段を提供して教区に貢献します。

職業を通して聖性を目指すとは、有能な仕事人として、同時にキリスト教的に、仕事をしっかり遣り遂げること、言い換えれば、神に仕え、人々に仕える心で仕事を果たすことです。こうして、仕事はキリストとの出会いの場になることでしょう。

オプス・デイは司祭と信徒、すべての人々に、誰もが聖性に召されていることを思い出させるために生まれました。創立者・聖ホセマリアが1928年以来、教えてきたように、この聖性への神の召し出しがすべての人に向けられており、神は一人ひとりをお呼びになっているということは、職業と家族、社会関係など、まっとうな人間的現実はことごとく、聖化されうるだけでなく、聖化する働きを持ちうるということです。

1969年、ローマで、聖ホセマリアと最初の日本人オプスデイ信徒

現教皇様が、枢機卿時代の2002年、ホセマリア神父の列聖されたとき、おっしゃったように、聖ホセマリアの教えは聖性に付いて誤った考えを正すために大きな貢献をしました。以前、聖性とは選ばれた僅かな人のためと思われていたのです。聖性とは神の友になること、唯一この世界をよきもの、よろこばしいものにすることのできる神の御働きを、邪魔をしないで協力することだと言えます。

オプス・デイの信者、男性と女性、既婚者と独身者は、属人区の司祭団を構成する聖職者と同じく属人区の構成員です。信徒と司祭との関係は、教会に固有な関係で、互いにあい補い合う存在です。

同時に、オプス・デイのメンバーは、前教皇様が幾度か公式に話されたように、オプス・デイ属人区に所属すると同時に教区に属する教区民です。各々がオプス・デイの精神に従って生きることによって、目立たないながらも結果的には、教区ひいては教会全体に貢献することを目指しています。オプス・デイの場合、位階的祭司職と信者の共通祭司職が一体となり、唯一の召し出しと統治に従って、属人区長の指導の下に福音宣教の使命を果たします。

オプス・デイ80年の歩み (1928.10.2〜2008.10.2)

1928.10.2 ホセマリア・エスクリバー師、神の霊感を受けて、オプス・デイを創

1930.2.14 創立者は、オプス・デイが女性も対象にしていることを神の恩恵に

よって理解する

1941.3.19 マドリードの司教による最初の司教区認可

1943.2.14 オプス・デイ司祭の叙階を可能とする法律上の解決策の照らしを

受け、聖十字 架司祭会が誕生

1946 ホセマリア・エスクリバー師、ローマに居を移す

1947.2.24 聖座による最初の認可

1950.6.16 聖座による最終認可。これにより、既婚者がオプス・デイの信者と

して加入すること、教区司祭が聖十字架司祭会に加わることが可

能となる

1975.6.26 ホセマリア・エスクリバー師がローマで帰天

1982.11.28 ヨハネ・パウロ2世教皇が、オプス・デイを属人区として設立。アル

バロ・デル・ポルティーリョ師が属人区長に任命され、翌年司教に

叙階

1992.5.17ホセマリア・エスクリバー師、列福

1994.3.23アルバロ・デル・ポルティーリョ司教がローマで帰天。ハビエル・エ

チェバリーア神父がヨハネ・パウロ2世教皇によってオプス・デイの

属人区長として任命され、翌年司教に叙階

2002.10.6創立者ホセマリア・エスクリバー列聖

オプス・デイ 日本での50年の歩み(1958.11.8〜2008.11.8)

1957ローマ滞在中の大阪司教区田口司教(のち枢機卿)、ホセマリア・エ

スクリバー師と会見。来日を要請

1958.4オプス・デイ司祭、ホセ・ルイス・ムスキス師が、調査のために来日

1958.11.8ジョセフ・レイモンド・マドゥルガ師来日。日本での活動開始

1959.10芦屋に精道塾(現セイドー外国語学院)を開設

1960.7.15女子のメンバー数名が来日

1961.3.20ホセマリア・エスクリバー師の代表的著作『道』の邦訳版を出版

1963.12京都に吉田学生センター(男子学生寮)・下鴨アカデミー(女子

学生寮)を開設

1967.8奥芦屋スタディセンター(研修施設)開設

1975.6長崎に城山スタディセンター開設

1978.4精道学園の最初の学校である長崎精道小学校開校。現在、長崎精

道小・中学校(女子)、精道三川台小・中学校(男子)、三川女子調理

師学校がある。(2009年4月、精道三川台高校(男子)が開校する

1989.8大分での活動開始

オプス・デイ概要

●正式名称 聖十字架とオプス・デイ属人区 ●属人区長ハビエル・エチェバリア司教 ●創立1928年10月2日 ●信者数59カ国 約87,000人 ●構成 聖職者1,900人、信徒85,100人 ●来日1958年11月8日 ●センター所在 大阪、長崎、京都、大分 ●使命 専門職・日常生活の様々な状況を通して、社会の中で聖性を追求し、使徒職を実行する