神のいつくしみの秘跡:ゆるしの秘跡について(X)告白

フランシスコ・ルナ著(新田壮一郎訳)『神のいつくしみの秘跡:ゆるしの秘跡について』より

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告白

「神の正義がいかに深い慈しみにあふれているか、考えてみなさい。人間の裁判では有罪を認めると罰せられるが、神の裁きにおいては赦される。聖なるゆるしの秘跡は、賛美されますように!」(『道』309)。

これが超自然の生活です。イエス・キリストは、目には目を、歯には歯を、というタリオの刑法を適用したりなさいません。罪人が心を開き、赦しを乞うのを辛抱強く待っておられます。神の赦しを得るために、心の中で、あなたに対して罪を犯しました、あなたを侮辱しました、と言えば充分であるとか、心の中で改心があれば、それで赦しが得られると考えている人がいるようです。しかし、そのような人は主の言われたことを忘れています。「聖霊を受けなさい。だれの罪であっても、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る」(ヨハネ20・22~23)。(…)
罪の赦しを受けるために、自らの罪を認め、赦しを得たいという心構えが必要です。そうでなければ、ゆるしの秘跡を授けるとか、授けないとかいうことには意味がなくなります。赦しが正義にかなったものであるように、ゆるしの秘跡を受ける人は、誠実な心で罪を言い表し、心の痛悔を示す必要があるのです。

「日常の罪(小罪)を告白することは、厳密に言えば必要ありませんが、教会から強く勧められています。小罪の定期的な告白はわたしたちの良心を養い、悪い傾きと戦い、キリストに癒やされ、霊的生活において向上していく助けになります」(『カトリック教会のカテキズム』1458)。

ここでは特に大罪の告白について説明しておきましょう。ゆるしの秘跡を受ける時、邪魔をしない限り恩恵が与えられるということは、信仰箇条です。しかし、犯した(大)罪をすべて言い表すという心構えがないと、ゆるしの秘跡に近づいても赦しの邪魔をすることになります。心からの痛悔があれば、犯した罪を洗いざらい告白することは難しくないはずです。告白が真に内的な痛悔を表わし、実を結んでほしいと思うなら、神の掟や教会の掟の何条に背きましたと言うだけでは充分とは言えません。いくど(大)罪を犯したかを明白に言い表さなければなりません。さらにおもな事情も説明する必要があります。正確な数を思い出せない時は、たとえば、毎月一度ミサにあずからない状態が一年続きましたなどと、およその数を述べれば充分です。このように、犯した(大)罪の数と、そのおもな事情をいい表わすことを、神学者は〈告白の完全性〉と呼んでいます。「雑煮に餅がないと本物の雑煮と呼べない」のと同じで、秘跡を受けても言い表していない(大)罪がある時や、(大)罪の回数を明らかにしなかった時は、完全な告白をしたとは言えないでしょう。

誠実な心で包み隠さず告白しなければなりせん。犯した大罪の一つでも隠して言わないなら、秘跡の悪用というもう一つの罪を犯すことになり、神を侮辱する罪になります。しかも、告白した大罪も赦されません。

しかし、わざと隠したのではなく、本当に忘れていたのなら、その罪も赦してくださるでしょう。神はわたしたちの良い心構えを見てくださっているからです。ただし、忘れていた罪でも、(…)大罪である場合は、次回のゆるしの秘跡の中で正直に告白する義務があります。(…)。

以上のような欠点を避けるために、次のような方法が役に立つでしょう。最も言いにくいこと、最も恥ずかしく思うことを、最初に言い表すことです。そうすれば、忘れる危険も、びくびくして最後まで言わずじまいになることもないでしょう。

(…)

もう一つ大切なことは、告白において言い表す罪は、一人ひとりの個人的な罪であるということです。従って、他人の過失が話題になることはないはずです。もちろん私の過失が原因となった時や、共犯者がいる時は、この限りではありません。共犯の時は、親族関係をはじめとして、罪の重さに影響のある事情をも明白に述べる必要があります。ただし、どのような場合も、慎重を期して、共犯者の名は口にしないないよう注意すべきです。

罪の告白にあたっては、慎み深く、思慮深くあるよう、注意しなければならないでしょう。それぞれの罪の種類や事情に関することを、簡単に、そして控えめに打ち明けるべきです。たとえば、子供が聴罪師を見つめながら、さんざん悪口雑言を並べた後で、このようなことを弟に言いましたと、言うようなことがあるかもしれませんが、注意して避けなければなりません。いつもできるだけ、礼儀に反しないよう注意して打ち明けるべきです。しかし、これも度が過ぎて、罪について話しているのか徳について話しているのか、聴罪師が分からなくなるようなことは注意して避けるべきです。罪の告白をした後で、犯した罪が思いの罪か言葉の罪かあるいは怠りの罪であったか区別して述べ、その数と主な事情を思い出した通りに言い表し、聴罪師が尋ねることに答えれば、後は、赦しを受けるだけです。そして、赦しを受ければ、心が喜びに満たされるはずです。