8.イエスはどこでどのようにして生まれたのですか?

ごく初期から、教会の聖伝はイエス誕生の超自然性を伝えて来た。

福音記者のうちマタイとルカが、イエスがベツレヘムで生まれたと書いている(「イエスが生まれたのはベツレヘムですか、それともナザレですか?」を参照)。マタイは場所を特定しなかったが、ルカは、子どもを産んだ後マリアは「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」(ルカ2.7)と述べた。「飼い葉桶」という言葉はイエスが生まれた場所に家畜がいたことを示す。ルカはまた、飼い葉桶に寝かされている乳飲み子が羊飼いたちにとって、生まれた救い主の印であるとのべている。「泊まる場所」を表すために使われたギリシャ語はkatálymaである。それは応接室として使うこともできる広い部屋を表す単語である。新約聖書ではこのほかに、イエスが弟子たちと最後の晩餐を祝うために使った高間を表すために2回使われている(ルカ22.11、マルコ14.14)。おそらく、福音記者はこの言葉によって、出来事の秘密を守れないような場所であったということを示したかったのだろう。ユスティノ(『トリフォンとの対話』 78)は洞窟で生まれたと言い、オリゲネス(『ケルソス駁論』I, 51)や偽福音書も同様に言っている(『偽ヤコブ』20、『幼年時代のアラブ語の福音』 2、『偽マタイ』13)。

ごく初期から、教会の聖伝はイエス誕生の超自然性を伝えて来た

ごく初期から、教会の聖伝はイエス誕生の超自然性を伝えて来た。アンティオキアの聖イグナチオは西暦100年頃、「この世の王子(悪魔)にはマリアの処女性も、その出産も、主の御死去も隠された。3つの驚くべき神秘は神の沈黙のうちになされた」(『エフェソの信徒への手紙』 19.1)。2世紀の終わり頃、聖イレネオは、マリアの出産は無痛であった(『使徒たちの使信の説明』 54)と述べ、アレクサンドリアのクレメンスは2つの偽福音書に則って、イエスの誕生は処女性を保ったと述べた(『ストロマテイス』7.16)。4世紀の聖グレゴリオ・タウマトゥルゴの作とされる文書の中にははっきりと述べている。「キリストが生まれる時、無原罪の胎と処女性は保たれた。それは、前代未聞のこの出産が私たちにとって偉大な神秘の印となるためであった」(J.B. Sitra, “Analecta Sacra”, IV, 391)。最も古い偽福音書は、突拍子さはあるものの、上記の証言と一致した伝統を残している。『ソロモンの頌歌』 19、『イザヤの昇天』 13、『ヤコブの偽福音書』 20-21、においては、イエスの誕生は奇跡的な様相を帯びている。

これらすべての証言は、教会によって承認されてきた信仰のある伝統を反映しているが、それは、マリアが出産前も、出産中も出産後も処女であったという信仰である

これらすべての証言は、教会によって承認されてきた信仰のある伝統を反映しているが、それは、マリアが出産前も、出産中も出産後も処女であったという信仰である。「教会は、処女である母への信仰を深めるにつれ、マリアは人となられた神の御子を産んだ時も含めて(『カトリック教会公文書資料集』 291; 294; 442; 503; 571; 1880)、真に終生の処女性を保たれたと公言するに至りました(同 427参照)。事実、キリストの誕生は、「母の完全な処女性を傷つけることなくかえって聖化しました(『教会憲章』57)。教会の典礼は、マリアを「終生の処女」(Aeiparthenos)としてたたえます(『教会憲章』52)。」(カトリック教会のカテキズム499)


参考書: カトリック教会のカテキズム; J. GONZÁLEZ ECHEGARAY, Arqueología y evangelios, Verbo Divino, Estella 1994; S. MUÑOZ IGLESIAS, Los evangelios de la infancia, BAC, Madrid, 1990; F. VARO, Rabí Jesús de Nazaret, BAC, Madrid 2005