7.イエスが生まれたのはベツレヘムですか、それともナザレですか?

ナザレ人であるイエスはベツレヘムで生まれたが、福音記者が旧約聖書の中に見出し、メシアとしての特徴が彼において実現した。

聖マタイは「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。」(マタイ2.1)と明記した。聖ルカも同様である(ルカ2.4、15)。第四福音書は間接的な言及をしている。イエスの正体について論争が起こった。「群衆の中には、『この人は、本当にあの預言者だ』と言う者や、『この人はメシアだ』と言う者がいたが、このように言う者もいた。『メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。』」(ヨハネ7.40−42)。第四福音記者はある種の皮肉を利用している。彼も読者もイエスがメシアであり、ベツレヘムで生まれたことを知っている。イエスに反対するものたちはイエスがメシアでないことを証明するために、メシアであるためにはベツレヘムで生まれなくてはならないが、イエスの場合はナザレで生まれたことを知っている(と思っている)。これは第四福音書でよく使われる書き方である(ヨハネ3.12、6.42、9.40−41)。例えば、サマリアの女は質問した。「あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか」(ヨハネ4.12)。ヨハネの言葉を聞くものはイエスがメシア、神の子で、ヤコブより偉いことを知っており、この女の質問はその優越性の肯定となる。それ故、この福音記者は反対者の肯定までも利用してイエスがメシアであることを証明する。

福音記者の既述や伝統的に言われてきたことに反対する十分な論拠はないということが、今日の研究者共通の意見である。すなわち、イエスは、ヘロデ王の時代にベツレヘムで生まれた

以上が、1900年以上にわたって、信者と学者の間で一致していた見解であった。しかし、前世紀に何人かの学者が以下のように言った。全新約聖書にわたってイエスが『ナザレ人』と見なされており、ベツレヘムが誕生地であるとの言及は、ダビデの子孫がベツレヘムで生まれるという、当時来るべきメシアが備えるべきであると当時見なされていた特徴の一つを、聖マタイと聖ルカがイエスに当てはめた作り事である、と。一つ確かなことは、そのような議論によっては何も証明されないということだ。1世紀には、イエスにおいて実現しなかった、来るべきメシアについての話が沢山出ていた。我々が知るところでは、ベツレヘム誕生の件は最も証明が試みられたものの一つではなかったようである。むしろ、逆に考えるべきである。というのは、ナザレ人であるイエス(つまりそこで育ったということ)はベツレヘムで生まれたが、福音記者が旧約聖書の中に見出し、メシアとしての特徴が彼において実現した。

ナザレ人であるイエス(つまりそこで育ったということ)はベツレヘムで生まれたが、福音記者が旧約聖書の中に見出し、メシアとしての特徴が彼において実現した

伝統的な証言は皆、福音書のデータを裏付ける。100年頃パレスティナで生まれた聖ユスティノは、約50年後にイエスはベツレヘム近くの洞窟で生まれたと述べた(『対話』 78)。オリゲネスも同じ証言をしている(『ケルソス駁論』I, 51)。偽福音書も同じことを述べている(『偽マタイ』13; 『偽ヤコブ』17以降; 『幼年時代の福音』 2-4)。

まとめると、福音記者の既述や伝統的に言われてきたことに反対する十分な論拠はないということが、今日の研究者共通の意見である。すなわち、イエスは、ヘロデ王の時代にベツレヘムで生まれた。


参考書: A. PUIG, Jesús. Una biografía, Destino, Barcelona 2005; J. GONZÁLEZ ECHEGARAY, Arqueología y evangelios, Verbo Divino, Estella 1994; S. MUÑOZ IGLESIAS, Los evangelios de la infancia, BAC, Madrid, 1990.