​48.聖杯とは何ですか?バレンシアにある聖杯との関係は何ですか?

聖杯(grial)の語源は後期ラテン語のgradalis もしくはgratalisで、それは古典ラテン語のcrater すなわち容器から来ています。

中世の騎士道物語によると、それは最後の晩餐でイエスが聖別した御血を入れた容器もしくは杯で、後にアリマテアのヨセフがイエスの遺体を洗った時、体から流れ出た血と水を集めるために用いられた物と言われています。物語によると、その数年の後、ヨセフはその容器をブリテン島にもって行き(質問「アリマテアのヨセフとは誰か」を参照)、そこでこの聖遺物を守る共同体を設立し、それが後にテンプル騎士団と関係してきます。この伝説は、恐らくウエールズのある国で生まれたもので、これは5世紀の外典『ピラト言行録』と呼ばれるラテン語化された古い文献の影響を受けたものと思われます。さらにこの伝説は、アーサー王物語に関係するパルツィファルというケルトの伝説的英雄の物語と共に肉付けされ広まって行きます。この物語は、クレティアン・デ・トロワの作である『聖杯物語』、ヴォルフラム・フォン・エシェンバハの作である『パルツィファル』、トマス・マロリーの作である『アーサー王の死』等の作品を通して広まっていったのです。聖杯は宝石に変わり、一時期、天使に守られ、後に聖杯の王を団長とする聖杯騎士団の保護に託されました。毎年、聖金曜日には天から鳩が舞い降りてきて、宝石の上にホスチアを供えます。こうして、この宝石が持つとされる神秘的な力が新たにされるのです。この宝石は、永遠の若さとあらゆる飢え渇きを満たす力を与えると言われていたのです。時には、宝石のいくつかの刻印は、永遠の至福受けるために、モンサルヴァートにある聖杯の町に呼ばれているのが誰であるかを啓示するとも考えられていたそうです。

この伝説は、その主題として、イエスが最後の晩餐で用いた聖杯と関係しており、それについては、基本的に3つに分類できる古い伝承が存在します。最も古い伝承は7世紀のもので、それによるとアングロ・サクソンのある巡礼者がエルサレムにある聖墳墓教会の中で、イエスが使った聖杯を見て手に触れたと主張するものです。それによると、聖杯は銀で出来ており取手が2ついていたとのことです。2番目の伝承によると、聖杯はジェノバのサン・ロレンツォ教会に保存されているというものです。それは「Sacro catino」と呼ばれ、緑色のクリスタルで皿のような形をしています。12世紀の十字軍によりジェノバに運ばれたものと言われています。3番目の伝承によると、最後の晩餐で用いられた聖杯はバレンシア(スペイン)の司教座聖堂の中に保存されているもので、「Santo Cáliz」として崇敬されています。それは玉髄で作られた暗色の杯で、聖ペトロがローマに持ち込み、その後、彼の後継者が使用していましたが、3世紀に迫害を避けるため、聖ロレンソに託され、スペインのウエスカに移されました。その後、やはりスペインのアラゴン地方を転々とした後、15世紀にバレンシアに移されたと言われています。