​40.イエスの復活をどのように説明すればよいか?

キリストの復活は歴史的に確認された本当の出来事です。使徒たちは見こと、聞いたことについて証言しています。西暦57年ごろ、聖パウロはコリントへの書簡の中で次のように書いています。

キリストを知る

「私がまず最も大事なこととしてあなた方に伝えたのは、私も受け継いだものです。それはキリストが、聖書に書いてあった通りに三日目に復活したこと、そしてケファに現われ、次いで、十二人に現われたということです」(1コリント15,3-5)。 


 起こったことの真実を、現在、可能な限り客観的に探ろうとすれば、次の疑問が出てくるでしょう。イエスが生き返ったという言明はどこから出てきたのか?人類史に於いて異常な反響を呼んだことを操作した結果なのか。もしくは弟子たちを唖然とさせたように、今も驚くべきまた予想も出かない事実なのか。

 これらの疑問点に対する合理的な答えを探しだすには、死後の世界に関してそれらの人々が何を考えていたのかを調べ、復活の物語が人々の考え方に合っていたかどうかを評価しなければなりません。

 まず、ギリシャ人の世界では死後の世界に関する言及があるとはいえ、それは特異なものです。ホメロスの詩以降繰り返し語られたモチーフである、「ハーデス」とは、死のすみかであり、生きる人々の住居のあいまいな記憶のごとき陰の世界です。しかしホメロスはハーデスからの帰還が実際に可能であるとは想像したこともありませんでした。プラトンは異なった視点から生まれ変わりについて思索しましたが、ひとたび死んだ肉体が再生するということについては考えませんでした。つまり、死後の世界についてはしばしば語られましたが、ある人が現世の肉体に戻るという復活の考え方には一度も思いつくことはなかったのです。

 ユダヤ教ではこれと一部は異なっているが一部は共通の考え方がありました。旧約聖書や古代のユダヤ教の経典が語る「シェオール」はホメロスの「ハーデス」と大きく異なったものではありません。その世界に於いて人は眠りについていました。しかし、ギリシャ人の考え方との違いは、そこには希望に向けて開けられた門があったという点です。主は唯一の神で、それは生きている人と同様に死者に対しても、「シェオール」と同様に天上の世界でも、力を持っていました。死に対して勝利することは可能です。ユダヤの伝統では、しかしながらある種の復活を信じていました、少なくとも一部の人々は。また、メシアの到来に対する待望がありましたが、それらの出来事はお互いに関係がありませんでした。イエスと同時代のどのユダヤ人にとっても、最初は、非常に異なった環境の下で動く二つの神学的な疑問が問題となりました。メシアが主の敵たちを打ち負かし、ユダヤの神殿崇拝を再度全盛にして純粋にし、そして主が世界を支配することを信じていましたが、死後に復活するということは考えてもいませんでした。それは敬虔で教育を受けたユダヤ人の想像の常識を超えるものでした。

 イエスがメシアであることを示す証拠とするために、イエスの遺体を奪い去り、その復活をでっち上げて言いふらしたという話は考えられません。使徒言行録によると、聖霊降臨の日、ペトロは断言しました。「神はこのイエスを死の苦しみから解放して復活させられました」。そしてこう結んでいます。「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなた方が十字架にかけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(使徒言行録2,36)。使徒たちが今まで想像したこともないことが起こり、困難と嘲笑に晒されて当然と思えたにもかかわらず、証言しないわけにはいかなかったのです。