​32.洗礼者聖ヨハネはイエスにどのような影響を与えましたか?

洗礼者聖ヨハネという人物は新約聖書および具体的に福音書の中で重要な位置をしめています。

それは、もっとも古いキリスト教の伝統の中で説明がなされており、またかなり古い時代よりその誕生を特別の厳粛さで祝うという大衆の信心の中に深く浸透していました。近年それは新約聖書及びキリスト教の原点の研究の中で特に注目を集めるようになりましたが、それは歴史批評家の視点で洗礼者聖ヨハネとナザレのイエスの関係について何を知りうるかというものです。

二つの出所から洗礼者ヨハネについて語られていますが、その一つはキリスト教でもう一つは非キリスト教のものです。キリスト教のものは正典の4福音書とグノーシス派による聖トマの福音書です。非キリスト教の出所で最も重要なものはフラウィウス・ヨセフスで、彼はその著書ユダヤ古代誌(18,116-119)の中で、ぺレアのマケロンテ要塞でのヘロデ王の手による洗礼者ヨハネの殉教の解説をしています。最終的な影響を評価するためには、それぞれの出所が洗礼者ヨハネの生き方、行動、残した言葉について知りうるところに注目する必要があります。
1.誕生と死
洗礼者ヨハネの生きた時期はイエスと一致します。確かに、イエスより少し早く生まれ、公の生活も少し早く開始しました。彼は祭司の家族出身ですが祭司の仕事はしていませんでした。神殿から離れた所での独立した行動や滞在を見ると,公の祭司職の執行の仕方に反対の態度をとっていた事が窺がわれますが、聖職者としての最初です(ルカ1)。ユダヤの砂漠で過ごしましたがクムランの人々とは関係を持たなかったようです、なぜならば法的な規範(halakhot)に従う上でさほど急進的ではなかったからです。ヘロデ王により処刑され死にました。(フラウィウス・ヨセフス古代ユダヤ誌18,118)。一方、イエスは幼少期をガリレアで過ごしヨハネによりヨルダン川で洗礼をうけました。ヨハネの死を知っており、常にヨハネの人物、その教え、そしてその予言的伝道を称えました。
2.行動
ヨハネの生き方と行動から、ヨセフスは、ヨハネを「善良な人」で多くの人がヨハネのもとに集まり話を聞いて熱狂したと語っています。福音書の著者はより明確に語っています。ヨハネが公的な生活を送った場所のユダヤとヨルダン川地域、衣食面におけるやり方の厳格さ、弟子たちの前でのリーダーシップ、先駆者としての役割、真の救世主としてのナザレのイエスを見出したことなどを具体的に語っています。一方、イエスのほうは、同郷の人々と特に区別されることなく、伝道する場所を特に決めることなく、家族との食事に加わり、普通の服装をして、そしてファリサイ人が法律を文字通りの解釈することに反対しながらも、すべての法的な規範に従い神殿には足繁く通いました。
3.教えと洗礼
洗礼者ヨハネは、フラウィウス・ヨセフスによると、ユダヤ人に対してお互いに善徳と正義を実践し、神を敬いそしてその後洗礼を受けるよう熱心に勧めていました。福音書はヨハネの教えは悔悛、終末論、そしてメシア思想に関するものであることを付け加えています。すなわち、改心を強く説き、神の審判が差し迫っていることを教え、自分よりもっと強い者がやって来て聖霊と火による洗礼を行うだろうと語っています。ヨハネの洗礼は、フラウィウス・ヨセフスにとっては、「体を洗うこと」で義に備えて心を清めることの証です。福音書の著者にとっては、それは「罪の許しを得るための悔い改めの洗礼(マルコ1,5)」でした。イエスはヨハネの教えを否定しませんでした。それどころ洗礼者の教えを出発点とし(マルコ1,15))神の国と世界の救いを告げるためヨハネの役割を否定することなく、自分が洗礼者ヨハネが告げたメシアであると明らかにして終末論への道を開けました。そして、特にその洗礼が救済の源(マルコ16,16)となり弟子たちに与えられた神の恵みを受けるための入り口であると語っています。
つまり、ヨハネとイエスの間には多くの接点がありましたが。しかし今日まで知られている資料ではナザレのイエスは、洗礼者ヨハネの旧約の枠組み(改心、倫理姿勢、救世主に対する待望)を超えて救済の無限の広がり(神の国、万民の贖罪、最終的な啓示)を明らかにしています。