記事数: 12

希望とは何か(2)

聖年にあたり2024年11月にローマにて行われた属人区長フェルナンド・オカリス師による希望の徳についてのクラスの内容を連載します。今回は希望の基盤についての考察です。

その他

希望とは何か(1)

聖年にあたり2024年11月にローマにて行われた属人区長フェルナンド・オカリス師による希望の徳についてのクラスの内容を連載します。

その他

神への憧れ(2)

「人間は、創造から出発して、すなわち世界および人間の人格から出発して、理性だけで確実に神を、万物の起源や目的として、また最高の善、真理、無限の美として知ることができます」(『カテキズム要約』3番)。

神への憧れ

人間の心の奥底には、幸せへの郷愁があり、それは最終的な住まい、決定的な祖国への希望を指し示しています。私たちは地上的な存在でありながら、永遠を求め、神を求めています。神は、宇宙の起源と目的であり、最高の善として、世界と人間そのものを通して確かに知ることができるお方です。

戦い、親しさ、使命(4)「聖霊を悲しませてはいけません」なまぬるさ

なまぬるさは心の病です。それによって、霊魂は神との関わりにうんざりし、ついには「私の本当の人生はどこか別の場所にあるのだ」と思うにまで至ります。

属人区長のメッセージ(2024年11月8日)

オプス・デイ属人区長は永遠の命への希望について黙想するよう招きます。

教皇フランシスコ、2025年通常聖年公布の大勅書「希望は欺かない」

フランシスコ、ローマ司教、神のしもべたちのしもべ。この書簡を読む人々の心が、希望で満たされますように。

教会と教皇

まなざし

他の人を見る、キリストを見る、自分が見られる...。この記事では、観想する(何よりも神を観想する)とは、見ることを知り、人生をより美しくする清い目を持つことを意味すると説明されています。

希望の理由

私たちが生きている今時代の一つの特殊な目標はキリストはもう流行おくれと思われている人々に新しいキリストの教えを伝えることでしょう。ルイス・クラベル氏の記事を紹介します。

黙想:復活の水曜日(エマオへの道)

黙想のテーマ:「エルサレムからエマオに向かう弟子たち」「イエスはいつも私たちに同伴される」「聖体とみ言葉において神を認める」