「利己主義への傾向は死なない」

〈私の〉健康、〈私の〉名前、〈私の〉経歴、〈私の〉仕事、〈私の〉歩みの一歩一歩など、〈私の〉という言葉をくっつけないでほしい。なんて不愉快なことだろう。〈あなた〉は何も持たず、すべては主に属することを忘れているようだ。一日のうちに、おそらく訳(わけ)もないのに辱(はずかし)められたと感じ、自分の考えが通るべきだと思ったとき、あるいは各瞬間毎に、あなたのもの、貴方のもの、貴女のものという風に、アナタの自我が湧いて出てくるなら、それはあなたが時間を潰(つぶ)している証拠である。ところで、〈潰す〉べきは、あなたの利己主義であることを確信しなさい。(鍛1050)

望ましいことは、障害や問題に出遭うことなく主が人の心の中まで安心してお入りになることです。人は〈自分を守り〉、自我に執着する傾向があります。惨めな王国に過ぎなくとも、私たちはとにかく王であろうとします。このように考えると、イエスに助けを求める必要があることを理解できることでしょう。私たちはイエスのおかげで真に自由になり、その結果、神と人々に仕えることができるようになるのです。(...)

自己愛の傾きは死に絶えることなく、誘惑もいろいろな形で襲ってきますから、警戒しなければなりません。神のみ旨は鳴り物入りで示されるのではありませんから、み旨に従うときには信仰の行為を実行するよう要求されます。時折、良心の奥の方で響くだけの小さな声で主はご自分のみ旨をお示しになります。ですから、その声を聞き分けて忠実に従うために、注意深く耳を傾けなければなりません。(知識の香17)

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