望ましいことは、障害や問題に出遭うことなく主が人の心の中まで安心してお入りになることです。人は〈自分を守り〉、自我に執着する傾向があります。惨めな王国に過ぎなくとも、私たちはとにかく王であろうとします。このように考えると、イエスに助けを求める必要があることを理解できることでしょう。私たちはイエスのおかげで真に自由になり、その結果、神と人々に仕えることができるようになるのです。(...)
自己愛の傾きは死に絶えることなく、誘惑もいろいろな形で襲ってきますから、警戒しなければなりません。神のみ旨は鳴り物入りで示されるのではありませんから、み旨に従うときには信仰の行為を実行するよう要求されます。時折、良心の奥の方で響くだけの小さな声で主はご自分のみ旨をお示しになります。ですから、その声を聞き分けて忠実に従うために、注意深く耳を傾けなければなりません。(知識の香17)