「謙虚でなければならない」

従うべきとき、あるいは命令すべきときは、いつも深い愛を込めなければならない。(鍛629)

「巡り歩いて人々を助け」られた。それほどの善、しかも善だけを振り撒くために、イエスは何をなさったのでしょうか。この問いに答えて、福音書はイエスについてもう一つの伝記を記しています。「両親に仕えてお暮らしになった」(ルカ2・51)。不従順・不和・陰口が社会に満ちている今日、特にこの従順の徳を大切にしたいものです。

私は自由こそかけがえのないものだと考えています。そして自由を愛すればこそ、このキリスト教的な徳である従順を大切にするのです。神の子としての自覚をもち、父である神のみ旨を果たす熱意を持たなければなりません。〈自ら望んで〉神のお望みに従って事を運ぶ、これこそ最も超自然的な理由です。

私は三十五年以上も前からオプス・デイの精神を自ら実行し、人にも教えようと努めてきましたが、このオプス・デイの精神のおかげで、個人の自由を理解し愛することができるようになりました。父である神は人々に恩恵を与え、一人ひとりに固有の召命をお与えになりますが、それはちょうど、子どもである私たちを探し求める父親、私たちの弱さをよく知っている父親が、逞しくまた愛情に満ちた腕を伸ばして助けを与えるのと同じです。差し伸べられた手にすがる努力を主は期待しておられます。主は私たちの自由を試すために、私たちの努力を要求なさるのです。最後まで努力を続けるには謙遜にならなければなりません。幼い子どものようになって、祝福された従順を愛し、優しい御父に応えなければならないのです。(知識の香17)

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