四旬節、復活祭への道(1)

四旬節は過越の神秘、すなわち主のご受難とご復活という世界の歴史の中心点―私たちの人生の中心点―へと向かう道です。

「主キリストは四十日の断食によって、四旬節の務めを行うわたしたちに模範を示されました。悪霊のいざないを退けられた主は、わたしたちが罪の力に打ち勝ち、清い心で過越の神秘にあずかり、復活の喜びを迎えるよう導かれます」[1]。このように四旬節第一主日の典礼は、灰の水曜日から始まる四十日間の歩みの意味を示します。四旬節は「絶えず御父の家へと立ち帰る歩み」[2]である人生の縮図です。それは過越の神秘、すなわち主のご受難とご復活という世界の歴史の中心点―私たちの人生の中心点―へと向かう道です。それは永遠の愛への回帰です。

教会は四旬節の間、私たちが心と行いを新たにするよう呼びかけ、日ごとにこの「過越の神秘の中心性」を見出すよう導きます。それは神の御手に私たち自身を委ねることにより、「キリストの死と復活の神秘を深く悟」り、「日々、キリストのいのちに生きる」[3]ためです。

「ところで人間とは異なもので、こんなに素晴らしいことも忘れ去り、これほどの秘義にも慣れてしまいます。この四旬節を機会に、キリスト信者である限り浅薄な生活を送ることはできないのだと肝に銘じたいものです。人々と同じく仕事に没頭し、夢中にな」ると「同時に神にも夢中にならなければならないのです。私たちは神の子なのですから」[4]。それゆえ、四旬節の間、私たちは祈りの中で、回心の必要性を見つめ直し、主へと歩みを向け直し、心を清めます。「神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください」。これは四旬節に教会がしばしば唱えるよう促す「ミゼレーレ」(詩編50[51])の言葉です。聖ホセマリアも、幾度となくこの詩編を祈りました。


[1] 四旬節第一主日、叙唱。

[2] 聖ホセマリア『知識の香』64番。

[3] 四旬節第一主日、集会祈願。

[4] 聖ホセマリア『知識の香』65番。

Alfonso Berlanga