記事数: 86

聖ホセマリアの生涯-79

1970年メキシコでの滞在中、聖ホセマリアは気分が悪くなり横になったときその部屋に飾ってあったグアダルーペの聖母の絵を見ながら、「私はこのマリア様を見ながら死にたい」と漏らしていました。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-78

神父の生まれ故郷であるバルバストロ市は当人に相談することなしに、1971年メインストリートに「エスクリバー・デ・バラゲル通り」の名前をつけ、1974年には市の勲章を授与することに決めます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-77

3ヶ月に及ぶ中南米諸国への旅行から帰った聖ホセマリアは疲労困憊で、大きな健康上の問題も生じます。しかし4ヶ月後、再び中南米に向かいます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-76

1974年の南米司牧旅行において、聖ホセマリアはブラジルに2週間滞在したのち、アルゼンチンに向かいます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-75

第二次世界大戦後、オプス・デイは世界に広まりました。それらの地の様子は、聖ホセマリアが直接に知らないものでした。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-74

聖ホセマリアは、第二バチカン公会議後の教会の混乱を見て非常に苦しみます。年齢により体が弱っていく中、教会のため、オプス・デイの子どもたちのために、祈りそして働き続けます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-73

1975年、聖ホセマリアは、自身が「3つの狂気」と呼んでいたもののうちの2つを完成させます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-72

聖ホセマリアは、1960年代の後半から始まったカトリック教会の大混乱を前にして、黙って祈るだけではいけないと考えるようになりました。そこで、1972年の秋、スペインとポルトガルの主要な町を回って、大勢の人に「カテケージス」を行おうという企画が生まれます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-71

第二バチカン公会議後に生じた教会内の惨状を目の当たりにし聖ホセマリアの心は張り裂けんばかりになりました。あたかも自分の体の一部が痛むかのように「私は教会が痛い」と言うこともあり、よく涙を流すようになりました。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-70

聖ヨハネ23世が第二バチカン公会議を招集したのは、大きな問題が発生したからではなく、教会が世界の中での道徳的な影響力を著しく失っていることへの危機感からでした。

伝記物語