記事数: 113
聖ホセマリアの生涯-74
聖ホセマリアは、第二バチカン公会議後の教会の混乱を見て非常に苦しみます。年齢により体が弱っていく中、教会のため、オプス・デイの子どもたちのために、祈りそして働き続けます。
聖ホセマリアの生涯-72
聖ホセマリアは、1960年代の後半から始まったカトリック教会の大混乱を前にして、黙って祈るだけではいけないと考えるようになりました。そこで、1972年の秋、スペインとポルトガルの主要な町を回って、大勢の人に「カテケージス」を行おうという企画が生まれます。
聖ホセマリアの生涯-71
第二バチカン公会議後に生じた教会内の惨状を目の当たりにし聖ホセマリアの心は張り裂けんばかりになりました。あたかも自分の体の一部が痛むかのように「私は教会が痛い」と言うこともあり、よく涙を流すようになりました。
聖ホセマリアの生涯-68
1957年、当時大阪の司教であった田口司教(出津出身)はローマを訪れ、ある枢機卿に関西でカトリックの大学を始めるという計画について助言を求めました。すると枢機卿は聖ホセマリアを紹介しました。
聖ホセマリアの生涯-67
1950年頃からオプス・デイは西ヨーロッパとアメリカ大陸の国々に広がっていきました。ますます必要となる司祭と統治の任に当たる人を養成するため、聖ホセマリアはローマ学院と呼んだセンターをたてようとしました。