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聖ホセマリアの生涯-74

聖ホセマリアは、第二バチカン公会議後の教会の混乱を見て非常に苦しみます。年齢により体が弱っていく中、教会のため、オプス・デイの子どもたちのために、祈りそして働き続けます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-73

1975年、聖ホセマリアは、自身が「3つの狂気」と呼んでいたもののうちの2つを完成させます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-72

聖ホセマリアは、1960年代の後半から始まったカトリック教会の大混乱を前にして、黙って祈るだけではいけないと考えるようになりました。そこで、1972年の秋、スペインとポルトガルの主要な町を回って、大勢の人に「カテケージス」を行おうという企画が生まれます。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-71

第二バチカン公会議後に生じた教会内の惨状を目の当たりにし聖ホセマリアの心は張り裂けんばかりになりました。あたかも自分の体の一部が痛むかのように「私は教会が痛い」と言うこともあり、よく涙を流すようになりました。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-70

聖ヨハネ23世が第二バチカン公会議を招集したのは、大きな問題が発生したからではなく、教会が世界の中での道徳的な影響力を著しく失っていることへの危機感からでした。

伝記物語

聖ホセマリアの生涯-69

1959年10月、新教皇を選ぶ選挙(コンクラーベ)が招集されると、聖ホセマリアは、「新教皇が選ばれる前から、教皇を愛さねばならない」と周囲を励まします。

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聖ホセマリアの生涯-68

1957年、当時大阪の司教であった田口司教(出津出身)はローマを訪れ、ある枢機卿に関西でカトリックの大学を始めるという計画について助言を求めました。すると枢機卿は聖ホセマリアを紹介しました。

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聖ホセマリアの生涯-67

1950年頃からオプス・デイは西ヨーロッパとアメリカ大陸の国々に広がっていきました。ますます必要となる司祭と統治の任に当たる人を養成するため、聖ホセマリアはローマ学院と呼んだセンターをたてようとしました。

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聖ホセマリアの生涯-66

いつも活発で愉快だったカルメンが、元気がなくなりました。検査をした結果、がんでした。1957年3月のことです。医師たちはあと二ヶ月の命だと宣告しました。

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聖ホセマリアの生涯-65

福者アルバロはローマとナポリの間の海岸に研修センターを作るプロジェクトを推進します。その実現のためには聖ホセマリアの姉カルメンの助けがどうしても必要でした。

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