膨大な費用がかかるローマの本部の建築工事はドン・アルバロの健康を損ないました。聖ホセマリアは皆にドン・アルバロのために祈るよう頼みました。しかし実は師自身も健康ではなかったのです。1944年に発症した糖尿病が悪化していたのです。それ知っていたのは僅かな人だけでした。
その一人がローマでパドレを診察したファエッリ医師です。医師はこう言っています。「すでにだいぶ前からかなり重症の糖尿病を患っておられました。その後治療を続けていくうちに更に悪化し、視覚障害、循環器系統の変調、潰瘍形成、偏頭痛、ひどい出血が起こり、すべての歯が抜けるということもありました」。そのためフルスカ歯科医院にも行くようになりました。治療を始めるとき、医者は「痛かったら、言って下さい」というのですが、患者は決して痛いと言いません。それが医者を苛立たせました。「あの歯の痛みに耐えられるなら、どんな苦痛も平気でしょう」と言っています。神父は決して文句を言い
ませんでした。そしてこの二人の医師と深い友情を結ぶようになりました。
糖尿病患者にはインシュリンの注射を打たねばなりませんが、その役目はドン・アルバロがしていました。10年もの間注射をしていたので、皮膚が分厚くなったほどでした。
1954年4月27日、医者の指示でインシュリンの種類を変えました。昼食の前、ドン・アルバロは指示されたのより低い量で注射を打ちました。食前の祈りをした直後、パドレは「アルバロ、罪の赦しを」と言うのです。アルバロは意味がわからず呆然としていると、再び「罪の赦しを」と言い、三度目には赦しの言葉を言い始め、そして意識を失って床に崩れ落ちました。「そのとき顔色が最初は赤に、次に土色になり、体がとても小さく縮んだようになった」とドン・アルバロは証言しています。罪の赦しを与え、医者を呼び、砂糖を飲ませましたが、脈がなくなっていました。でも10分後、医者が駆けつけたときにはもう意識を回復しており、普通に会話をしました。しかし後で、実はその時、数時間目が見えなくなっていたこと、そして倒れたときに、自分の人生を一瞬のうちに映画を見るように見た、とドン・アルバロに打ち明けています。
こうして聖ホセマリアは奇跡的に糖尿病から回復しました。この後いくらかの後遺症は残りましたが、インシュリンの投与も食事療法も必要なくなりました。