オプス・デイの発展に伴い、新しいメンバーの養成が重要な課題となりました。聖ホセマリアは、メンバーの養成の仕事を任せられる人材の育成のため、ローマの本部に養成センター(聖十字架のローマ学院)を作ることにしました。今度も資金の問題にぶち当たります。しかもとんでもない金額を要求する企画です。創立者はそれでもこの企画は将来のオプス・デイの発展のため、いかなる犠牲を払ってでも推し進めねばならないと覚悟を決めていました。なによりもそれが教会のためだと確信していたからです。
工事のため100人あまりの労働者がヴィリャ・テベレ(本部)に出入りしました。この工事の財政的な仕事の一切を、創立者はドン・アルバロに頼みました。彼以外にこれができる人はいません。ドン・アルバロは約10年間、極度の資金難の中で、借金をすること、ローンを組むこと、支払延期を頼むことなどの、命を削るような仕事に追われました。
聖ホセマリアも必死になって寄付集めに奔走し、世界中のメンバーにもそうするよう頼みました。また建築家と相談し、工事の現場を巡回しては労働者と話し、徐々に彼らと親しくなっていきました。当時本部に住んでいたメンバーも極力出費を削ることで、少しでも協力しようとしていました。
労働者の給与日は土曜日でした。週末が近づくとドン・アルバロが寝込むこともしばしばでした。しかし、たとえ熱があっても、アルバロは外に出て不思議なことに金を工面してきたのです。ある日、熱のあったドン・アルバロがどこかにでかけたことに気がついた医者のメンバーが、創立者にそのことで文句をいうと、「もしドン・アルバロが寝ていたら、今日は食事がなかったでしょう」と言われたそうです。このようなことはよくありました。
1955の春、ある建築会社の社長さんがこの工事のために経済的援助を申し出てくれました。これでパドレとドン・アルバロは土曜日の苦しみから解放されましたが、工事とお金の心配は1960年まで続きました。(写真。工事中の本部で。若いメンバーと談笑する聖ホセマリア)。