聖ホセマリアの生涯-61

聖ホセマリアは大きな迷いに苦しみます。神父は神学生の時代から教区の司祭の役に立ちたいという思いを抱いていましたが、そのためにはオプス・デイから脱退して、別の組織を作る必要があると考えたからでした。

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オプス・デイは1947年には教皇庁からの在俗会としての認可を得たのですが、この認可は「試験的なもの」でまだ最終的な認可ではありませんでした。そこで、1950年2月、最終的な認可を得るため教皇庁の当該聖省に再び申請書を提出しました。この際、再びオプス・デイの世俗の信徒の団体という特殊な性質が議論されることになりました。

このころ聖ホセマリアは大きな迷いに苦しんでいました。神父は神学生の時代から教区の司祭の役に立ちたいという思いを抱いていました。一つは、自分の経験から孤独に悩む司祭がいることに心を痛めていたからです。しかし、そのためにはオプス・デイから脱退して、別の組織を作る必要があると考えていました。オプス・デイはもう自分がいなくなってもやっていけると考えていましたが、我が子のようなオプス・デイを捨てるというのは身を切られる思いでした。また、新しい組織を作るなら、心ない中傷を受けることは目に見えていました。

ところで教皇庁でのオプス・デイの最終的認可についての議論は4月1日に結論が出る予定でしたが、審議はまとまらず継続されることになりました。この審議延長は神の摂理でした。というのは、この間に聖ホセマリアは、オプス・デイの司祭が属する聖十字架司祭会には、教区の司祭も入ることができるということを発見したからです。聖十字架司祭会は、オプス・デイのメンバーの霊的世話に当たるため叙階したメンバーの司祭で構成されていました。彼らはオプス・デイの権威者に従います。しかし、教区の司祭も、司祭としての活動については自分の司教の下に留まり、ただ霊的な指導を受けるためにこの会に属することができるというわけです。教区司祭は自分の霊性を高めるために自由に好きな組織や運動に加わる権利を持っています。オプス・デイは彼らが司牧の仕事を聖化するのを助け、司教様への従順と司祭の仲間との兄弟的愛を深めることを励ますのです。これで聖ホセマリアはオプス・デイから離れることなく、教区司祭の手助けができるようになりました。

前号で見ましたが、既婚者もスーパーヌメラリーとしてオプス・デイに属することができること、そして今回の教区司祭が聖十字架司祭会の会員になることができることを認めた教皇庁の文書は1950年6月16日に発布されました。