聖ホセマリアの生涯-60

1947年にオプス・デイは、教会の中に新しく生まれた在俗会という形を取りましたが、在俗会には結婚している人は入れませんでした。しかし、聖ホセマリアは在俗会の規約に「会員の中に様々な種類がある」と書いてあることに気がつきました。

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1928年と30年に神が聖ホセマリアに見せたことは、あらゆる身分や職業の人が自分の仕事や家庭の義務をよく果たしながら、聖人になることができるという教えでした。1947年にオプス・デイは、教会の中に新しく生まれた在俗会という形を取りましたが、在俗会には結婚している人は入れませんでした。しかし、聖ホセマリアは在俗会の規約に「会員の中に様々な種類がある」と書いてあることに気がつきました。

これを根拠にして、オプス・デイには独身のメンバー(ヌメラリー)と並んで、専門職だけでなく結婚生活(家族)を聖化する仕方でオプス・デイの精神を生きるメンバー(スーパーヌメラリー)の存在を認めるように教皇庁に頼みました。これによって、聖ホセマリアが夢みていた、キリスト信者が社会活動のあらゆる分野で聖性を目指し使徒職をすることで「社会にキリストの平和」をもたらすという理想が実現できるようになるのです。

聖ホセマリアは最初の頃から「結婚への召し出しがある」と言っていました(『道』27)。そして、霊的指導に来る若者を結婚生活に導くことも少なくありませんでした。その一人が、1937年にピレネー越えに参加したトマス・アルビラです(33話参照)。トマスはすでに創立者に霊的指導を受けていました。大学卒業後、高校の教師になりました。婚約者がいましたが、内戦で別れ別れになり、戦争が終わると結婚しました。しかし同時に聖性への道を歩むことを望んでいました。その間も創立者の指導を受け続けていましたが、既婚者の入会を認める法的根拠がないためオプス・デイに加入できませんでした。

1948年3月教皇庁は、聖ホセマリアの申請を許可しました。同年10月、トマスは、同じく長い間創立者の指導を受けていた他の二人とともにオプス・デイに加入し、長年の夢を果たしたのです。その後、教師を続け、同時に多くの学校の設立に貢献しました。

(写真。トマス一家。後列左から三人目と四人目がトマス夫婦。夫婦はすでに他界。列福調査が始まっています。そのほかは二人の子どもで、みなヌメラリー)。

尾崎明夫