1946年6月から49年まで聖ホセマリアは7度もスペインとイタリアを往来しました。オプス・デイがスペインだけでなく全世界に使徒職を展開するためローマに本部を移す、新しい時代が始まろうとしていました。
まだまだあらゆる面で中心であったスペインでは、ローマの本部建設のための寄付を募ることの他、オプス・デイの将来に関わる大きな課題に取り組みました。それはなによりもメンバーの教育です。すべての人が聖性に呼ばれているという真理をまず自らが生き、人々に伝えることができるためには、メンバーにしっかりした教育を施さねばなりません。
そのためには、適切な人材、教材、場所などが必要です。創立者はこの課題を「形成の戦い」と呼んで最初から取り組んでいましたが、メンバーの急増で緊急の課題となりました。そこで、スペインの地方の中心都市に教育の設備をもつセンターを整えること、さらに黙想会や研修会ができる施設を、そしてローマに国際神学校を作る計画をたてました。
まず生まれたのが、マドリードの北に位置するモリノビエホという黙想の家です。松林の広い庭園をもったこの家を、黙想会や研修会に相応しい家にするために建物を増築改築し、1948年の夏には若いメンバーを集めて研修会が行われました。そこにはスペイン人以外にも、メキシコ人、アイルランド人、イタリア人の顔も見えました。
もう一つの課題は、オプス・デイの発展に欠かせない司祭と管理部を担当する女子メンバーの召し出しですが、祈りと辛抱強い努力をかさね少しずつ前進していきました。
イタリアでは北部や南部の地方の司教から呼ばれました。なかでも熱心だったのがミラノ大司教シュステル枢機卿です。この方はイタリアのファシスト政権から国民の自由を守るため英雄的な働きをした人ですが、オプス・デイと聖ホセマリアを理解し、ミラノで学生寮を作って欲しいと頼まれました。しかし、人もお金も足らないなか、この申し出を断るしかありませんでした。この枢機卿様はのちにオプス・デイを大きな危機から救ってくださることになります。
(写真。モリノビエホの庭で仕事をするホセ・マリア・エルナンデス神父。この家は神父の親族の土地でした)。