第二次世界大戦後、オプス・デイは世界に広まりました。それらの地の様子は、聖ホセマリアが直接に知らないものでした。西欧の場合、機会を見つけてはセンターのある町に足を運び、メンバーを励ましたり慰めたりしました。しかし、大西洋を隔てたアメリカ大陸にはそう簡単には行かれません。1970年に訪問したメキシコ以外の南米の諸国でもオプス・デイが目覚ましい発展をしていたのですが、未踏の地でした。それらの国からは来訪を強く望む旨が頻繁に伝えられていましたが、このような大旅行は容易ではありません。
しかし、1974年春、ローマの中央委員会は南米旅行を計画しました。それは5月末からブラジル、アルゼンチン、チリ、ペルー、エクアドル、ベネズエラ、グアテマラを訪問するというものです。ポルトガル語を話すブラジル以外はみなスペイン語で言葉の問題がありません。一つの問題は師の体力でしたが、検査をした医者たちはスケジュールに十分な休息の時間を入れ、医者を同伴させるという条件付きで許可を出しました。
ブラジルには2週間滞在しました。色んな人種のメンバーを目の前にし、深い感動を覚えました。メンバーや知り合い人々も交えた集まり(聖ホセマリアは家族の団らんと呼びました)は約40回にも上りました。一般の人々を招待した団らんは参加者が4千人にも達し、大きな公会堂で行われました(写真)。
その中である人が「ブラジルは世界で最もカトリック信者の多い国なのに、聖人がほとんど出ていない」と言うと、創立者は「聖人は大きな音を立てません。あなたの身近にきっとたくさんの聖なる人々がいます」と、誰もが聖人になるように呼ばれていると励ましました。
2年前にイベリア半島を回った時と同じく、人々は実に様々な質問を投げかけました。師は一人ひとりに丁寧に答えていき、家族の団らんのような雰囲気を醸し出しました。