1962年から65年にかけて開かれた第二バチカン公会議は、カトリック教会の現代化を目指しました。それは急速に変化する現代社会に教会が効果的に教えを伝えることができるためです。教会は神がイエス・キリストを通じて与えられた啓示(「信仰の遺産」と呼びます)を忠実に伝えることが使命です。その啓示の内容は変わりませんが、その伝え方は場所と時代によって合わせる必要があります。しかし、変えて良いものと良くないものを判別するのは難しい問題です。教会の内外でこの点についての誤解が生じました。これまでの教会のすべてを、「信仰の遺産」も含めて、検討を加えて必要なら変えるべきだという主張が現れ、それが「第二バチカン公会議の精神」という看板を掲げて、教会内にみるみる広がったのです。この結果、伝統的な教えや信心業が「古い」というレッテルを貼られて捨てられ、多くの司祭修道者が還俗し、神学校が空っぽになるという惨状が生じました。この混乱は単に思想上のものだけではなく、人の生活をも狂わせ、果ては永遠の救いも危うくします。
カトリックの信仰によれば、教会は生身の人間で構成されますが、キリストの神秘体です。また教会は信者を生み育てることから「母なる教会」とも言われます。この信仰を強く持ち、また教会の混乱で永遠の滅びに陥るかも知れない人のことを思い、聖ホセマリアは極度に苦しみました。まず自ら祈り、周囲にも祈りを頼みました。聖母の取り次ぎを願うために、あちこちにある聖母マリアの教会に巡礼し、1970年には大西洋をわたってメキシコにまで飛びました。1972年にはイベリア半島の主要都市を周り、大勢の人たちに直接話しかけました。しかし、状況は良くなるどころかひどくなっていきます。それで1973年から翌年にかけて三通の長い手紙をオプス・デイのメンバーに書き送り、注意を喚起しています。メンバーに祈りの大切さを説き、各自の高慢心、利己主義、無秩序な欲望などと戦う必要性を強調しました。
神父は1972年には70歳になりました。人々に話しかけるときは元気そうに見えても、その体は確実に衰えていました。「私はここにいる限り皆の邪魔をするだけだ。天国に行けば、あちらからもっと効果的にみなを助けることができるだろう」とも言うようになりました。しかし、ここで最後の大旅行に出かけることになります。