聖ホセマリアの生涯-73

1975年、聖ホセマリアは、自身が「3つの狂気」と呼んでいたもののうちの2つを完成させます。

巡礼者で一杯になったトレシウダッドの教会

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2ヶ月にわたるイベリア半島のカテケージスの旅は実り多いものでしたが、71歳の聖ホセマリアの体にはきついものでした。また教会の混乱はひどくなるばかりで、そのことが師の精神に重くのしかかっていました。「私はいつこの世を去ってもおかしくない」という発言が聞かれるようになりました。とはいえ、教会と人々の救いを考えると、見違えるように元気になります。この頃2つの大きな事業に取り組んでいました。

一つは聖母マリアを称える教会を立てることでした。場所は故郷のピレネー山脈のトレシウダッドです。その地方で800年前から崇敬されている聖母像を飾る教会を建てようというのです。それは、聖母の取次によって人々が信仰を深め、家族や社会でよりよく働くことができるようにとの望みからでした。教会の内部には聖マリアの一生の様々な場面を描いた彫刻を飾り、40の告解場を備えた地下礼拝堂を作りました。当然、大きな経済的な困難を乗り越えねばなりませんでしたが、世界中からの寄付や協力を得て、1975年に奇跡的に工事は完成しました。

この工事中にもう一つの大工事が始まっていた。それは、ローマに教会の大学に勉強しに来るメンバーのための住居でした。当時そのような学生は、本部の建物に寝起きしていました。しかし、学生の数も本部の仕事も増えたことで、本部と寮を分けることが望まれました。そこで、市の郊外に土地を見つけ、そこに学校兼宿舎を立てることにしました。聖ホセマリアはそれを建物の間に広場や街路があり、運動場やプールのある緑の庭が広がる村のようにすることを望みました。不安定な政治情勢や労働問題の激化(頻繁に労働者のストライキが起こる)、物価の高騰など次々と困難が出てきます。この企画を断念、変更または遅らせるという勧めもありましたが、聖ホセマリアは断固として皆を励まし、工事は1975年春に完成しました。

師は上記の2つの大工事を「3つの狂気」と呼んでいました。誰かが「3つ目は何ですか」と尋ねると「誰の面倒にもならずに適切なときに死ぬこと」と答えていました。

尾崎明夫