聖ホセマリアの生涯-72

聖ホセマリアは、1960年代の後半から始まったカトリック教会の大混乱を前にして、黙って祈るだけではいけないと考えるようになりました。そこで、1972年の秋、スペインとポルトガルの主要な町を回って、大勢の人に「カテケージス」を行おうという企画が生まれます。

団らんの様子(1972年11月25日)

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聖ホセマリアの性格的にも目立つことがきらいで、「隠れること」を信条としていました。しかし、1960年代の後半から始まったカトリック教会の大混乱を前にして、黙って祈るだけではいけないと考えるようになりました。そこで、1972年の秋、オプス・デイがかなり広がっていたスペインとポルトガルの主要な町を回って、メンバーだけでなく大勢の人に「カテケージス(カトリックの教えを伝えること)」を行おうという企画が生まれました。

10月4日にパンプローナに始まって11月30日バルセローナを発つまでの約二ヶ月間、スペインの6つの町とポルトガルの3つの町を回りました。各町でオプス・デイのメンバーやその家族や知り合いと会い、時には修道院の中で祈りと労働に専念する観想修道会を訪れたりしました。圧巻は大勢の人たちとの集まりです。最初の予想を大きく上回る数の人が押し寄せました。

聖ホセマリアは、何千人の集まりでも「これは家族の集まりです」と言って「団らん」という言葉を使いました。まず前もって考えてきたテーマについて短く話すのですが、「私はお説教をするために来たのではなりません。皆さんの望むテーマについて話しましょう」と言って、聴衆に質問をするように誘うのです。会衆からは質問が雨あられと降ってきました。「友達が教会の教えは間違っていると言うのですが」、「仕事で忙しくて祈り時間がありません」、「子供が親の言うことを聞かないのです」、「神様が私に何をお望みか、どうやったらわかるのですか」などなど、日々の生活で直面する様々な問題に及びます。それらの質問にパドレは丁寧に答えていき、常に神への信仰と経験と常識から生まれる見方を伝えようとしました。

このイベリア半島の旅行で、聖ホセマリアは一日平均して、3つか4つの集まりをもち、そのうちは何千人もが参加したもので、合計で15万人以上がこのカテケージスを聴きました。この集まりの多くが映像に収められています。

尾崎明夫