イエス様はカトリック教会の統治権を弟子のペトロに与え、それは代々ローマ教皇によって受け継がれています。しかし、大きな問題が起こると、教皇は全世界の司教と話し合うために公会議を開くという習慣があります。ヨハネ23世が公会議を招集したのは、大きな問題が発生したからではなく、教会が世界の中での道徳的な影響力を著しく失っていることへの危機感からでした。そこで第二バチカン公会議の議題は、教義に関するものではなく、教会のあり方についてのものでした。
聖ホセマリアは、公会議の委員になることは辞退したのですが、その成功のため自ら祈り、人々にも祈りを励まし、会議に参加する高位聖職者の相談を受けることで少しでも貢献しようと努めました。またドン・アルバロを始め、実際に委員として参加したメンバーも少なからずありました。
会議は1962年10月に開幕しましたが、翌年6月に教皇ヨハネ23世が逝去。新教皇パウロ6世が1965年12月の閉幕まで公会議を導きました。公会議の大切な議題の一つが、一般信徒についてでした。そして「すべての人が聖性に招かれている」と宣言しました。これは聖ホセマリアが1928年からずっと説いてきた教えです。かつては異端の疑いさえ受けたこの教えを、教会が公会議の場で公に宣言したことを見た創立者の喜びはいかばかりだったでしょうか。
実はパウロ6世は、ドン・アルバロがローマに初めて来たときからの友人でした。オプス・デイとその創立者の教会への愛をよくご存知であった教皇は、1965年11月エリスという職業訓練学校の落成式を挙行されました。この学校は、ローマ郊外の貧しい地区に学校と小教区を作ろうと考えたヨハネ23世が、オプス・デイにその仕事を頼まれたものでした。このためには多大の犠牲が必要でしたが、聖ホセマリアはそれを受け入れ、この時期に落成式ができるまでになっていたのです。公会議は途中から深刻な困難が現われ、終了後には信じられないようなひどい混乱が始まります。