聖ホセマリアの生涯-49

1940年代の初頭、オプス・デイはスペインの色んな都市にも広がり、マドリードでは複数のセンターが生まれました。聖ホセマリアは、これらのセンターの管理(家事一般から建物の管理)の仕事を女子メンバーの一部が専門的に受け持つように望んでいました。

当時のモンクロア学生寮

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1940年代の初頭、オプス・デイはスペインの色んな都市にも広がり、マドリードでは複数のセンターが生まれました。聖ホセマリアは、これらのセンターの管理(家事一般から建物の管理)の仕事を女子メンバーの一部が専門的に受け持つように望んでいました。女子メンバーも多様な仕事を持つはずですが、まだその数は少なく、当初は全員がこの仕事に当たらねばなりませんでした。神父は、姉のカルメンの手を借りて最初のメンバーに管理部の仕事の重要性から実際のやり方まで教えていきました。

1943年、マドリード大学の近くにモンクロアという学生寮ができました。ここでは三人の女子メンバーが中心になって働き、管理部の養成所のようになりました。夏の間に内装や工事を終えるはずでしたが、種々の困難によって、10月の新学年の開始以降も工事は続きました。建物は道を挟んで二つ分かれ、食堂と食糧倉庫が別々、百人近い寮生など、管理部の仕事は困難を極めました。最初は希望に胸を膨らませて働いていた女子メンバーたちも、クリスマスと冬休みが近づいたころには疲れ果て、落胆してしまいました。

12月23日、聖ホセマリアが一足早いクリスマスのお祝いを言うためにひょっこり現れました。姉からのプレゼントをもって。三人はこのときとばかり仕事大変さを訴えました。そして「あまりにも仕事が多いので、祈る時間がありません」と言ったのです。突然神父は手で顔を覆って嗚咽を始めました。皆驚いて黙ってしまいました。しかしすぐに神父は顔を上げて、プレゼントの包装紙をちぎって何やら書き始めました。それは彼女たちが訴えた困難(手伝いなし、労働者が一杯、食料の貯蔵なし、経験なしなど)で、その下に「神への大きな愛。神とパドレへの信頼。明日の黙想会が終わるまで困難は考えない」とありました。神父は後で「あのとき泣いたのは、あなたたちが祈りをしていなかったからです。オプス・デイの人にとって最も大切な仕事は祈ることだからです」と教えた。

彼女たちは黙想会での神父の説教に励まされ、落ち着きを取り戻しました。年が明けると工事も終わり、徐々に仕事の環境も改善されていきます。しかし、まだ管理部の仕事を専門的なレベルにするには時間がかかりました。

尾崎明夫