聖ホセマリアの生涯-48

オプス・デイの創立は聖ホセマリアにとって新しい家族を持つことを意味しました。それによって、神父の血縁の家族は色々な面で犠牲を強いられることになりました。

聖ホセマリアの両親

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オプス・デイの創立は聖ホセマリアにとって新しい家族を持つことを意味しました。それによって、神父の血縁の家族は色々な面で犠牲を強いられることになりました。

弟のサンチアゴにとっては16歳年上の兄は父親代わりの存在でした。オプス・デイの初期の時代、彼はまだ10代でしたが、神父の周囲に集まる若者を「ホセマリアの子どもたち」と呼んでいました。兄が自分を相手にしてくれる時間が少なくなるのを見て、子どもらしく兄が新しい家族を持ったことを直感し、寂しさを感じたようです。

姉のカルメンはホセマリアと同様、強い性格の持ち主でしたが、とても感受性の豊かな人好のする女性でした。一度ならず結婚の申し込みを断ったようです。それは弟の仕事を手伝うためでした。

神父は、血縁の家族とオプス・デイをきっちり分けるべきと考えていましたが、センターや寮の家事の仕事と女子メンバーの養成という重要な仕事に、どうしても母と姉の協力を頼まざるを得ませんでした。すでに見たように、二人はこの申し出を受けました。それは人生を捧げるほどの犠牲を要求されることでした。

聖ホセマリアは、母と姉がいなければオプス・デイにキリスト教的な家族の雰囲気を与えることは出来なかったと言っていました。この感謝の念は父に対しても同じでした。父はオプス・デイを知らずに亡くなりましたが、小さいときから子どもたちに与えた人間的宗教的教育、その後連綿と続いた逆境の中で示された品位ある生き方の模範などによって、神父が神から託された仕事をやり抜くことができる人間に育ててくれたのです。

父はログローニョの墓地に眠っていました。母は生前、夫と一緒に埋葬されたいと言っていました。そこで聖ホセマリアは母の一周忌を迎える頃、必要な手続きをして、父の遺骨をマドリードに移し母の遺体の側に埋めました。

その20年後、マドリードのディエゴ・デ・レオンというセンターがオプス・デイのスペインの本部として改築されたとき、年配のメンバーたちが神父の両親の遺骨をセンターの地下聖堂に納めることを提案しました。この二人にオプス・デイ全体が受けた恩への感謝を表すためでした。

尾崎明夫