友だちに囲まれた聖人

ホセマリア・エスクリバー列聖請願人 フラビオ・カプッチ神父

聖人たちは教会という大木に豊かに実る果実であり、その一生は、キリストの神秘体から流れ出る愛徳に包まれ、信仰に支えられています。そして、人々と一つになるように促され、すべての人のために自分の人生を使い果たしたのです。聖人の伝記に目を通すなら、人のために生きるという姿勢をすぐに見出すでしょう。

ホセマリア・エスクリバー神父は、20世紀の初めにスペインのバルバストロに生まれ、キリスト信者の家庭で育ちました。両親の模範を見て、自然にその徳を身に付けていきました。平凡などこにでもあるキリスト信者の家庭の素朴な生活、つまり誇りを持って働き、人々に奉仕し、喜び、悲しみ、祈りを共にし、愛情に包まれて育ちました。愛徳姉妹会のシスターの保育を経て、スコラピオス会の経営する小学校で初等教育を受け、そこでもカトリックの教えの指導を受け、信仰を強めていきました。両親の手ほどきと町の教会の神父様の導きで早い時期から信仰生活を始め、秘跡にあずかりました。後になって、最初の赦しの秘跡を聞いてくれた修道司祭を愛情込めて思い出すのが常でした。時の経過と共に兄弟が増え、両親の喜びと幸福も大きくなっていきました。

1915年に新天地を求めてログローニョという町へ引っ越しました。家族にとって残念な出来事があり、数年間におよぶ苦しい生活を経てのことでした。1917年の冬、そこで洗足カルメル会修道士が降り積もった雪の上を素足で歩いた足跡を見て、若かったホセマリアの心は騒ぎました。「僕は、神様のために何をすればいいのだろうか?」この自問は、神にすべてを捧げる道の始まりでした。それは、けっして独りぼっちの道ではなく、いつも、神の恵みと両親と兄弟の支え、そしてたくさんの人々の模範に励まされていました。神が何かをお望みであると感じましたが、それが何であるかは分かりませんでした。そこで、神学校へ行くことにし、そこで経験豊かな司祭の助けを受け、神の呼びかけについての考察を深め、神の計画を果たしたいという望みを固めていきました。そして、ご聖体におられるイエス・キリストを中心に生きるようになりました。つまり、キリストを軸にして考え、行動し、心にあふれる愛は教会との交わりに支えられるようになりました。

1925年、司祭叙階を受けてから、自分を惜しまず、あらゆる階層の人々の司牧に専念しました。特に貧しい人と病人の世話に力を注ぎ、当時まだ知らされていなかった神のお望みを果たすことができるようにと、その人たちに物乞いのように祈りを頼んでいました。それが唯一の頼れる力だったのです。1927年からマドリッドに住むようになりました。そこでシスターや善意の人々が運営する病院で病人の霊的な世話を引き受けました。当時のスペインでは、教会が迫害される難しい時代で、ホセマリア神父は健康を害するまで働き、時には命を賭けて世話に当たりました。司祭として駆け出しのあの頃、イエズス会の司祭に霊的指導を受け、女子修道院の指導司祭として数年間を過ごしました。

1928年、たくさんの祈りの末にオプス・デイが生まれました。ホセマリア神父は、貧しい人や病人の世話をする一方で、すぐさま学生、教授、労働者、そして司祭たちを相手に働き始め、キリストのすぐ近くから従うように勧め、いつもの仕事を聖化するように教えとました。あの時から、疲れを知らずにオプス・デイの仕事を推し進めました。そして、あらゆる階層のさまざまな分野で働く無数の人々に、キリストに従って生きるという召し出しへの力強い呼びかけを届けたのです。

1940年代、信徒と協力して繰り広げる使徒的活動で休む間もなく働き詰めであったのにもかかわらず、司教様方の要請に応えてスペイン各地で数多くの司祭のための黙想会を引き受け、何千人もの教区司祭を指導しました。こうして数多くの司祭への召し出しと修道者への召し出しを掘り起こしました。また、困難に出会った人に対しては、その道に踏み止まるように常に励ましたのです。

1975年に帰天して以来、「友人ホセマリア」の列福・列聖を求める教区司祭、修道者、司教、信徒の会会員やその他大勢の手紙が列聖誓願人へ届けられました。属人区オプス・デイでは、これら創立者の友が表した愛情が今も続いています。それどころか、1975年以後、ありがたいことにその教えと著作は広がり、創立者の友の数は増え続けています。ひとつの例をあげれば、世界中の各国にある500の男子・女子観想修道院がオプス・デイの協力者になっていて、その途切れることのない祈りによってオプス・デイの仕事を支えています。

ホセマリア・エスクリバー神父の生涯とその創立の歴史は、教会における交わりによって特徴付けられています。つまり、聖人の生涯の特徴は、「教会の秘義の本質そのものを受肉し、表現しています」(「新千年期の初めに」42番)。そして、そこから頂いた愛徳に比例して御父の「み心」を表します。教皇様はすべてのキリスト信者に対して、行いをもって「教会を交わりを生きる場所、学ぶ場所にする」(「新千年期の初めに」43番)ように呼びかけられました。列聖式は、この交わりの霊性のモデルを力強く示してくれます。聖人たちを仰ぎ見るなら、「神秘体の深い一致における信仰の兄弟姉妹は、『わたしの分身』であり、わたしたちに贈られた賜物である」(「新千年期の初めに」43番)ことがよく分かります。これをよく自覚するなら、教会と神に対しての感謝の心が湧き起こります。