生涯

2012年7月8日、ドラ・デル・オヨの列聖調査がローマで始まりました。帰天8年後のことです。

ドラは、1914年1月11日、ボカ・デ・ウエルガノ(スペイン)で、農家の6人兄弟の5番目として生を受けました。信心深い家族の中で、ドラは、勤勉に働くことや喜んで家事をすることを学びました。

26歳の時、マドリードで家政婦として働き始め、すぐに、理解力と手先の器用さ、仕事の能力と向上心で頭角を現しました。1945年、ラ・モンクロア学生寮で働くこととなり、そこでオプス・デイの精神と創立者、聖ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルと出会ったのです。それは、ドラにとって、キリスト信者としての召し出しに新たな展望を見つけ出す決定的な出会いとなりました。自分の仕事を立派にやり遂げて神に捧げることで、自分が聖人になり、他の人々の聖性に寄与できることを理解し、1946年3月14日、神のみ前で働くことを通して自らの聖性を目指し、聖性への召し出しが普遍

的なものであることを広めたいと、オプス・デイに所属することを望みました。

オプス・デイの創立者は、学生寮を望み通りの家庭的な雰囲気にするため、ドラがこの上もない助け手であることをすぐに見抜きました。経験豊かな彼女のおかげで、洗濯、掃除、料理が瞬く間に向上し、落ち着いた明るい雰囲気を醸し出すようになったのです。

しばらくして終の棲家となるローマのセンターに移りました。いつもよく働き、忠実な彼女は、オプス・デイの創立者のかけがえのない支えとなり、献身的に率先して働きました。多くの人たちが、普段の生活の中で主を愛し、神の子であることを知って喜んで生きることを、ドラから学びました。

今は、ローマにある平和の聖マリア教会(viale Bruno Bouzzi, 75) の地下墓所に眠っています。その教会には、創立者、聖ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルと最初の後継者、福者アルバロ・デル・ポルティーリョが埋葬され、崇敬されています。

彼女の帰天後、数知れない人たちが、ドラの影響を受けたということを自然に語り始めました。ドラと関わりのあった人たちは、神との深い交わりと教会への愛、剛毅とあらゆる人たちへの愛に感銘を受けていました。また、最近、その取次ぎによって恵を受けたという便りが数多くの人から寄せられています。


列福調査に協力してくださる方のご寄附に感謝いたします。送金は以下の口座にお願いいたします:

宗教法人オプス・デイ・ジャパン

三菱UFJ銀行芦屋支店

(普通)3867278