ホセマリア・エスクリバーの列聖式および感謝ミサ

10月6日、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はオプス・デイ創立者ホセマリア・エスクリバーを列聖。参列者は聖ペトロ広場に入りきれず、通りにまであふれた。翌日、ハビエル・エチェバリーア司教(オプス・デイ属人区長)によって、感謝ミサが聖ペトロ広場で行われた。その感謝ミサに続いて、教皇が入場、大観衆の参列者に向かって話された後、ルーマニア正教大主教Teoctistが来場し謁見した。

列聖式の説教の中で教皇は次のように話した。「今日、新たに聖人の列に加えられた聖ホセマリア・エスクリバーは、すべてのキリスト信者に向かって、聖人になるように招かれていると言い続けました。そして、キリストに似ることを妨げる物質主義の文化に染まらず、現代社会を神に向けて秩序付け、社会を内部から変えていくように励ましましたのです」

たくさんの参列者の中に、医者のマヌエル・ネバード・レイ博士もいた。不治の病である重度の慢性放射線皮膚炎を患っていたが、オプス・デイ創立者ホセマリアの取次ぎで治った。1992年のこと、取次ぎの祈りのカードでお願いし始めてから約二週間で皮膚の腫瘍が完全に消えた。その医学的に説明不可能な治癒が奇跡と認定され、、列聖宣言の扉を開けた。ネバード博士は列聖式に参加して、次のように語った。「私は、考えられないほど幸福です。4人の子供と3人の孫、そして妻とともに来ることができました。70才になった今も、元気でぴんぴんして、ここにいると思うと、その現実に圧倒されます」

ローマの聖ジロラモ・デッラ・カリター教会で感謝ミサを司式した平山司教は、説教で次のように述べた。「聖エスクリバーが日本をこよなく愛したのは、日本人の勤勉さ、仕事に対する熱心で真面目な態度ゆえだったと言えます。仕事を聖化し、仕事を通して自分自身と人々を聖化するというメッセージがピッタリあてはまる人々は日本人だと考えていました。(・・・)家事はもちろんのこと、職場や家庭における義務を人間的にも完全を目指し、細やかな心遣いをもって、神への愛を込めて果たすなら、すべてが聖化すべき仕事になると説かれたのです」

イタリア政府は参列者を300,000人と発表。これらの中には、世界中から参加した42人の枢機卿および470人の司教が含まれる。

ポーランドの労働者を率いて「連帯」のリーダーとして活躍し、祖国に民主主義をもたらしたワレサ氏も出席し、 次のように語った。「ついに労働者のための聖人が生まれた」

10月7日、聖ペトロ広場は再び参列者であふれた。ハビエル・エチェバリーア司教(オプス・デイ属人区長)が感謝ミサを捧げ、説教で次のように話した。「家へ帰ったら、新聖人の教えを実行しましょう。毎日の平凡な散文に聖なる望みと使徒職の熱意を吹き込み、美しい詩、偉大な小説に変えるのです。そのために、聖ホセマリアに教えを願いなさい」

感謝ミサに続いて、教皇ヨハネ・パウロ2世が謁見のために聖ペトロ広場に車で入場すると、大観衆は拍手で迎え、教皇は手を振って応えた。その間、たくさんの母親が赤ん坊を手渡し、祝福を願った。教皇は、その度に立ち止まり赤ん坊を抱いて祝福しながら、祭壇前まで進んで行った。到着すると、教皇は大観衆に向かって話しかけた。聖エスクリバーを評して、聖人自身が常々話していた「日常生活の聖人」であると述べ、また、多くの国々から集まった人々を見て、「聖エスクリバーの魂の中で燃えていた使徒職への熱意の表れ」であると語った。

教皇謁見の終わりに、ルーマニア正教大主教Teoctistが広場に着き、参列者に挨拶した。1999年5月のルーマニア訪問は、正教国への最初のローマ法王訪問だった。大主教は、その謝意を表すためにローマを訪問。この日の謁見は、ルーマニア大主教のローマ訪問最初の公式行事。