エルネスト・コフィーニョ、尊者に

エルネスト・コフィーニョは、5人の子供の父親で、グアテマラにおける小児医学のパイオニアでした。

Ernesto Cofiño es declarado venerable

12月14日、教皇フランシスコは、列聖省による11人の列福列聖調査に関わる教令の発布を認可しました。これには、エルネスト・コフィーニョ(1899年-1991年)の英雄的徳に関する教令も含まれています。エルネスト・コフィーニョは、グアテマラ出身、一家の父親で小児科医でした。彼は医者として特に、最も困窮している家庭の子供たちのために働きました。また数年間、カリタスグアテマラを主導しました。彼は1956年にオプス・デイに加わりました。

生涯

エルネスト・コフィーニョ・ウビコは、1899年6月5日、グアテマラに生まれました。この町で、学業を終えた後、1929年にパリ大学医学部で外科医として働き始めます。1933年に結婚し、5人の子どもに恵まれました。

尽きることの無い奉仕の精神で職務をまっとうし、人々の心と体の健康を向上させることに挺身しました。

超自然的にも人間的にも優れた感覚をもっていたエルネストは、生命の尊厳を守るために様々な活動を促進し、自らも先頭にたって働きました。将来の母となる女性や路頭をさまよう子どもたち、そして親のいない子どもたちの福祉を向上させるために、社会問題の解決にも取り組みました。そのために、様々な施設を設立し、また4年間に渡って国立救貧院を指導しました。

エルネストは、グアテマラにおける小児医学の開拓者であり、聖カルロス大学医学部の小児医学教授を務めました。

1956年、スーパーヌメラリーとしてオプス・デイへの所属を申請します。この時から、祈りと犠牲、ミサへの参列と日々の聖体拝領、毎週のゆるしの秘跡を通して、神と向き合う生活を深めて行きました。聖母マリアへの信心を深め、ロザリオの祈りを積極的に広めました。また、教会の教えを深く学び、日々の研究活動に反映させて行きました。

使徒職にも力を注ぎ、喜びと寛大な心を多くの人々に伝えて行きました。彼自身、多くの犠牲を捧げながら、社会についての教会の教えを実践するために働き、また、多くの人々にも、経済的あるいは祈りによって、キリスト教的な社会を建設する事業に協力していくように呼びかけました。

様々な教育機関にも積極的に協力し、農業従事者、労働者、女性たち、また、貧困者たちの育成に尽力しました。この隣人への奉仕の業は、92歳まで継続しました。

癌による長期の闘病生活を、変わらない英雄的な態度で過ごした後、1991年10月17日、グアテマラにて死去しました。


エルネスト・コフィーニョの取り次ぎを願う私的信心の祈り

すべての善の源である父なる神よ、御身は、主のしもべ、医師エルネストを恩恵で満たし、御身に始まり御身のものであるいのちへの忠実な奉仕者となさいました。どうか私もまた、いのちの賜物を尊重し、育み、イエス・キリストと私の兄弟である人々への愛ゆえに日々の務めを寛大に果たすことができますように。御身のしもべ、医師エルネストに栄光を与え、その取り次ぎによって私の願い(ここでお願いする)をお聴き入れください。アーメン。

主の祈り、アヴェ・マリアの祈り、栄唱

(教皇ウルバノ八世の教令に従い、教会当局の判断を予想したいかなる事前行為をも行う意図のないこと、また、ここに記載された祈りは公的崇敬のためではないことを宣言します。)