「あなたに単純さ・純真さの欠けることがないように」

ごらん。使徒たちには誰の目にも明らかで否定できない惨めさがあったが、誠実かつ単純…、何も隠さず透明だった。あなたにもやはり誰の目にも明らかで否定できない惨めさがある。願わくは、あなたに単純さ・純真さの欠けることがないように。(道932)

あの最初の十二人には、私は大きな信心と愛情をもっています。しかし人間的な面をみると、彼らがたいした人物であったとは言えません。十分な生活費を稼いでいたがイエスに呼ばれたときすべてをおいて従った聖マタイを除けば、社会的には全員がその日暮らしの糧を得るために夜を徹して働くことさえ必要な漁師だったのです。

社会的地位などはたいして重要ではありません。しかし彼らは、教養もなく、少なくとも超自然的な事柄に関する限り、利口でもなかったのです。とても簡単なたとえや比喩も難しくて理解できず、「畑の毒麦のたとえを説明してください」(マタイ13・36)と主に願ったのです。イエスが、ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさいとたとえによってほのめかされた時、彼らはパンを買わなかったので咎められているのだと早合点したのです(マタイマタイ16・6-7)。

貧しく無知でした。とは言え、単純素朴であったわけでもありません。たいした能力もないのに、たいそうな野心家だったのです。イスラエルの最終的な王国をイエスが地上に建設なさると考えたので、その時には誰が一番上になるかということについて何度も議論しあいました。人類のためにイエスがご自身をまさにお捧げになろうとしている、最後の親密な晩さんのあの大切な時でさえも、彼らは夢中になって言い争っていたのです(ルカ22・24-27)。

キリストご自身も言われたように7、信仰はあまり持っていませんでした。死者の蘇りや多数の病人の治癒、パンや魚を増やされたことや嵐を鎮められたこと、悪魔を追い出されたことなどを目撃しました。(...)

あの信仰の薄かった人々は、キリストヘの愛という点では他の人よりも優れていたのでしょうか。確かにキリストを愛していました。少なくとも言葉の上では(...)

前の彼らはこうだったのです。弱さを持ち、実行よりも口数の多い、月並みの人々でした。しかし、人を漁るものとするために(マタイ14・19)、世の救済の協力者・神の恩恵を司る者とするために、そのような彼らをイエスは召されたのです。(知識の香2)

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