芸術と神に没頭して

クリス・アフーバ氏は、芸術家で、ナイジェリアのエヌーグにある経営工科大学の講師でもある。彼はオプス・デイのスーパー・ヌメラリーである。

クリス・アフーバ氏

  私がオプス・デイを知ったのは、友人を通してでした。ある日、彼とドライブに出かけたとき、彼は急にこんな質問をしたのです。「クリス、君は”生活のプラン”をもっているのか?」。私はそんなことを考えてもいなかったし、これまでこのような質問をされたこともなかったのです。彼は更に話を続け、キリスト信者が実践する幾つかの信心について説明してくれたのです。私にとって大いに考えさせるものでした。早速、私も実行することにしました。間もなく、オプス・デイのセンターで行われている形成のクラスに出席することにしました。数年後、スーパー・ヌメラリーとしてオプス・デイに所属することを願い出たのです。

聖ホセマリアの数々の教えの中で、もっとも強烈に私の心を打ったことは、人は誰でも日常の仕事の聖化を通して聖人になれるということでした。これには深い感銘を受けました。私自身芸術家であり、制作にはかなりの情熱を注ぎますが、他方では良いカトリック信者になろうと努め、制作にとりかかる時にお祈りを捧げることもたまにありました。ところが仕事そのものが祈りであると言う教えは、私には全く新鮮なことであり、目を開かれる思いでした。聖性という大きな理想が身近なものであることが分かったのです。私にもやっていけそうだと思ったのです。

以前、ある友人が彫刻の制作をしている私を見て、「まさしく芸術作品を作る姿だね」と語ったことがありました。今ではこの言葉をこれまでとは違った意味で考えています。「自分は働くためにいるのだ、そして、この仕事を神への奉げものとしなければいけない」と悟ってきたのでした。作品に向かっているときの自分の気持ちは、この作品の鑑賞者をいかにひきつけるかに関心がありました。彼等がどう感じるかを常に意識していました。

しかし、私の仕事を見守る最大の鑑賞者は神に他ならないと知るに至りました。神は、レリーフの裏側、あるいは彫刻台の下にまで目を注いでおられるのです。細かい作業を積み上げ完成度を上げるという誰にも気付かれない仕事も、聖化には必要欠くべからざるものであることを学びました。

芸術活動はかなり体力を消耗させます。どんな作品にも没頭し、しばしば夢中になるあまり何時間もぶっ通しで制作にとりかかることもあるほどです。このような時にはささいな邪魔に対してもいらだつことがあります。ここにもオプス・デイ創立者の教えは、私にとって大きな助けとなっています。作業を妨げる出来事の中にも神を見出さなければならないことを学びました。私のいらだちを神に奉げることができるのです。良い仕事をするためには、才能だけではなく、様々な徳を実践することも必要です。仕事の邪魔になると思っていた事柄は、今では神への捧げ物になっています。そのような小さな犠牲を仕事中に捧げることで、以前は仕事を台無しにしていた事柄が、人々のために自分を与え、仕事をより良く果たす機会となっているのです。 

普段、頭の中で考えていることを何とかひねり出し、そしてそれを表現することが芸術活動ではとても重要なことです。これは、私がオプス・デイにおいて学んだことでもあるのです。つまり、まず内的生活であり、また使徒職ということです。神に対して、もっともっと感謝をしなければならないと思っています。実に多くのことを与えてくださったからです。何よりもオプス・デイへの召しだしを与えてくださったのですから。

    クリス・アフーバ氏、ナイジェリアのエヌーグ