オプス・デイの協力者、短い証言の4

フィリピン、ケニア、メキシコ、シリア、エストニアの協力者の証言を紹介します。

沈黙のうちに働く心

ホセ・マリア・イエサ・カチョ

イロイロ(フィリピン)在住

経営者・視覚障碍者援助のNGOに協力

私は目が見えません。自動車事故で視力を失いました。受けてきた形成を通して、私の結婚生活こそ、私にとって聖性への道であると気づきました。できる限りよい夫、父親となることで。さらに、うまくいかなかったときには、神様の助けを受けて、もう一度やり直すことができるのです。日常生活の中の小さな戦いさえも聖化しうることを学びました。教会は、手足や頭や足があるひとつの体です。その手足となって活動する人たちのような素質は私にはないでしょう。けれども、キリストを愛し、日々の祈りと犠牲があれば、沈黙のうちに、途切れなく働くことを通して、誰もが教会に命を与えることができるのです。


カトリック教会への愛情のしるし

アイシャ・バダマナ

キリマニ(ケニア)在住のイスラム教徒

「小さな鳥たち」幼稚園の経営者・園長

必要としている人たちを援助する事業に協力するときには、いつも自問します。私たちは何のために造られたのだろうか。神さまと人を愛するために。「オプス・デイとはどういう意味ですか」と尋ねたら、「神の業という意味です」と言われました。それこそ、私がしたいことだ!と思ったのです。経済的に困っている人々を助けるための事業に参加する度に、神様に感謝していますが、今以上に私が神に近づくためには、もっともっと助けるべきだと思っています。ですから、「もっと何ができますか?」と自分に尋ねます。そうすることは、自分の家や仕事場で、仕える心で務めをよりよく果たすことを助けてくれます。形成の活動の中に感じられる一致や愛情、霊的な指導や謙遜、多様性などに強く魅かれました。アジア人だとかアフリカ人だとか言って区別することなく、あらゆる国籍の人たちが一致していることに、とても感銘を受けました。


自分の家のように

スルタニ・ゼガイブ・サーブ・アンデレ

メキシコ・シティ(メキシコ)在住

マロン教会のカトリック教徒・社会福祉に従事

最初にオプス・デイを知ったのは、レバノンでした。オプス・デイのセンターに通うようになってから、神様にもっと近付けるようになりました。経済的に困っていると分かったので、いろいろな形で援助していましたが、後に、協力者になることが出来ると知りました。現在は毎月献金をし、毎日オプス・デイのために祈っています。神様に近付く手助けとなりました。また、社会のために何かをしたいというかねてから感じていたことに、意味を与えてくれました。


霊的な利益

メアリー・N・ギチュイリ

ニエリ(ケニア)在住

教師を退職後、畜産業に従業

ある友人からオプス・デイのことを教えてもらったのがきっかけです。キムレアでの黙想会に誘ってくれたのです。協力者になったのは、少なくとも貧しい人たちのための活動は、手助けできると思ったからです。神さまがお与えくださった物的なものを、必要な人たちと分かち合うことは私の義務であるし、そうすることによって、私は霊的に豊かになることができます。毎日、オプス・デイの使徒職のためにロザリオを祈り、ごミサの中で祈っています。また、毎月献金をするようにしていますし、キムレアの学校での調理実習のための牛乳と野菜を届けています。


持っているものはすべて借り物

ミゲル・カルバクジ・ジクー

アレッポ(シリア)生まれで、現在はベネズエラ在住

商人

私が確信しているのは、神様が私にいくらかのものをお恵みくださったのであれば、人々にそれを分配すべきだろうということです。私は「協力する」という言葉が好きです。なぜなら、協力者になるというのは、単にいくらかの手助けをすることだけでなく、神様の愛に応えるひとつの方法だからです。神様が私にお望みのことを果たすことです。私が持っているものは、私のものではなく、借りもの、神様のものだと信じています。持っているものをすべて使い、できることをすべてして、可能な限り協力していこうと思っています。そうすることを、神様がお望みだと思うからです。


我が家の雰囲気が変わりました

ウーデ・ウット

タリン(エストニア)在住

6人の子どもたちの母親

数年前、世の中について、また人生の意味についての疑問の答を探して、自分の通っている教会のカテキズムのクラスに参加し始めました。そこで知り合った人を通して、オプス・デイのセンターに行くようになったのです。しばらくしてから、協力者にならないかという提案を受けました。自分にそれが可能かどうか少しの間迷いましたが、協力者になる決心をしました。若者たちのためのクラブの活動に協力するようになり、同時に、カトリック要理や家庭についてのクラスにも参加するようになりました。このような形成の手段は、私の日常生活に新たな力と経験を与えてくれました。人数の多い私の家族の一人ひとりが幸せであるために、時間と関心を費やすことを学びました。正直言って、それから我が家の雰囲気は変わりました。互いの配慮が深まり、喜びが増したのです。