第一章:この世界を愛した司祭 (11Q08)

1.私は無価値なみじめな者、しかし価値ある愛で一杯の者 (11Q08)

  11Q08 ここで先述したことからも窺われる他の面が現れますね。内的戦いにおける疲れの問題です。一度だけ、一言も発せないほど疲れきったエスクリバー・デ・バラゲル師を見たことがあります。1975年、アメリカへの旅からの帰途、マドリードのモンタルバン学生寮に行かれたときのことです。あの状況は、逆説のようですが、非常に励みをもたらすものでした。

もう既にお話し頂けたことですが、私は、オプス・デイ創立者の常変わらぬ微笑みの裏には、人には見えない多くの苦しみや困難が隠されていたのを垣間見ることが出来たと思います。

  11A08 母親や父親は、一日の仕事を終えて疲れている時さえも、常に子供たちのことを考えているものだと度々話しました。そして、安楽に流れずに疲れを乗り越えるため、このような両親の生活を模範としていました。1972年3月5日、次のように私たちを励ましたものです。「敏感であって欲しいと思います。キリストが私たちのために引き受けてくださった神の愛によるあの償いを、皆さんが日々感じるためです。なにか疲れるような理由があったとしても、戦いに倦むことなく、人々の救いに献身し、励まなければなりません。」

1968年、主に信頼して次のことを思い起こさせてくれました。「この40年間というもの押さえつけられ、疲れた時は信頼に満ちて次のように祈っていました。主イエスよ、御身のうちに憩います!母なる聖マリア、あなたにおいて安らぎます!」人間的に克服不可能と思える艱難に遭遇しても穏やかで落ち着いていました。何事もなかったように働き続け、周りの者達に安らぎや確信をもたらしていました。

どんな時でも、元気をなくしたり、懐疑的になったり、落ち着きを失ったりすることはありませんでした。エスクリバー師の傍では、度々私たちに繰り返していた聖テレジアの「神に信頼している人には、何も欠けることはない」という言葉を肌で感じ取ることができました。1966年、その意向を明らかに要約し、次のように言いました。「不安と悲しみは神の本質に真っ向から対立します。神の本質は最高の幸せです。疲れていると感じたら、神にそれを言いなさい。大きな困難に出遭ったら、神の御手に委ねなさい。しかし、あなたの態度で、師イエスの軛は重くて、愛のない軛だと思われないよう、注意して欲しい。」

神が私たちのために準備しておられる永遠の褒美を考えるよう励ましていました。何か難しいことがあり、関わりたくないために言い訳をしたい時、物惜しみせずに対処するよう励ましました。「主よ、こんなに多くのことを私に要求なさるのなら、私に何をくださるのでしょうか。」

同じ確信によって1964年、次のように忠告しました。「悲しみに警戒しなさい。悲しみは身体と霊魂の病気です。オプス・デイの人が悲しむことは考えられない。私は天と地の間に一人ぼっちでいることを何回も経験しました。そのとき私には祈りしかなかった。しかし、皆さんは、祈りの他に、霊的指導において心を打ち明けることができます。神がそう望まれたのです。悲しみを皆さんの生活から取り除きなさい。それが出来なかったら、窓から捨てるのです。」

同じ意味のことを次のようにも言いました。それは、師の魂に響いていたリフレインを表したものです。「子供たちよ、詩編は全てgloria栄光唱で結ばれていることを思い起こしてください。」そして言い加えました。「 私は長年たった一人で、苦しみ、しかし希望をもって神に寄りすがっていました。父なる神がお送りくださったカリスなら、それを退けることは出来ません。長い間、このように過ごしたのです。」